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講演講師 インタビュー / 柔道女子元日本代表 杉本美香 氏

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講演会講師インタビュー|世界選手権78kg級と無差別級で金メダル、ロンドン五輪で銀メダルを獲得。現役引退後は、コマツ(小松製作所)女子柔道部コーチを務めるなど指導経験を重ねた、杉本美香(すぎもとみか)氏にインタビューしました。

目次
  1. 講演テーマ「笑顔」に込められたメンタル思考とは
  2. 道場を見て感動、両親を説得してはじめた柔道
  3. 目標の先輩からバトンを受け継いだ競技人生
  4. 講演で伝えたい「勇気」「チャレンジ」

講演テーマ「笑顔」に込められたメンタル思考とは

いつもどんなときでも笑顔を絶やさない杉本氏。講演テーマにもしている「笑顔」へのこだわりやエピソードのほか、学校・教育関係向けの講演会や一般向け、企業向け講演会など、それぞれどのようなお話をされているのか詳しくお話しいただきました。

――

杉本さんといえば、元気で、明るく、笑顔が素敵なアスリート…というイメージですが、自分ではどのように思われていますか。

杉本

「笑顔を大事にする」というのは現役中から心がけていたことなんです。ニコニコして、ヘラヘラしてというわけじゃなくて…いろんな経験をしたからこそ「笑顔」というのは1番大事だなということを学んだので、大切にしているもの、自分の中で意識していることでもあります。

――

講演でお話しされるタイトルに「笑顔」というのがあって、いつも「笑顔」でいることを大切にされている印象です。「笑顔」へのこだわりについて教えてください。

杉本

自分自身が「笑顔」じゃないときに、周りの人が「笑顔」にしてくれたというのもありますし、あと本当に「悲しい笑顔」をしている人とも出会ったことがあって、「笑顔」にもいろいろあるな、と。私自身が関わった人の「悲しい笑顔」とは、無理矢理応援してくれている、でも内心ちょっと心配をしている時のような「笑顔」だったりで、それを私自身が気付いて、それがオリンピックへ行くための力になったなということをすごく感じています。

――

講演の依頼は、どういう主催者・団体様からが多いのでしょうか。

杉本

今のところは学校でしょうか。小学校から高校生、まあ大学生にも話したりしますが、「学校での目標の見つけ方」だったり、「夢」だったり、そういうタイトルだと現役中の話ができるかなって思っています。

――

学校・教育関係の講演会では「夢や目標に向かって努力することの大切さ」などが講演テーマとして多いように思われます。未来を背負う子どもたちへ、どんなことを伝えたいと思いますか。

杉本

「チャレンジすること」ですね。チャレンジすると、いろんな喜怒哀楽があったり、出会いがあったり、また壁にぶち当たったり、その時の乗り越え方だったりとか…。きっと何か一生懸命になった時って、その目標に向かうことによって、視野がちょっと狭くなったりとか、またうまくいかなかった時にも視野が狭くなったりすると思いますが、そんな時に冷静に判断できるような話を少しさせてもらったりしています。
まあ今後そういうことが起こるよ、ということを、(講演会で)私と出会ったことがキッカケで、「そういえばなんか学生時代に誰か来て話をしていたな」と、「あの内容が今起きている」と、いうような…なんか後からこう付いてくるようなものを、早い段階で知ってもらう、そのキッカケになってもらったらいいな、と思って話をさせてもらっています。

――

一般向けの講演では「笑顔」に代表される前向きなメンタル思考の話が多いとのことですが、具体的にはどんなことでしょう。

杉本

メンタルは私自身研究したりというか、柔道というのは対人競技なので、相手のメンタルを読まないと、ただ自分がやりたいことをやっているだけだったら、自爆したりとか、うまくいかなかったりとか、自分1人で技をかけているというふうになってしまうので、相手の心理だったりメンタルだったりを研究したり、人間観察したり、いろんなクセを見てみたりとか、そういうことを現役中に学んでいたんですよね。
そういう部分では、一般の方に向けた話では、メンタルの部分が多いかもしれないですけど、私自身は指導者の経験もちょっとしたので、組織だったり、リスクマネジメントだったり、あと役職も付かせてもらったのでそういう間に入る立場になったときの話だったり、あとは女性を指導していて、そこの18~30歳代ぐらいの幅の広い選手たちと付き合ってきたので、そうした話も出来るのが私の強みかなと思っています。

――

企業向けでは指導者として経験された人材育成やチームマネジメントなどが多いと思います。柔道の経験をビジネスに生かすとしたらどんな点でしょう。

杉本

柔道に限らないんですけど、スポーツは、社会の縮図だなと思うんですよね。なぜかっていうと、ルールを守るということは大事ですので。柔道も、世界でルールがあるから私自身、技だったり、思いっきり競技に集中できる。それはルールがあるからこそだと思っているんです。
ルールの中で自分自身の強みを生かすために、どれくらいのリスクを負うのか、負わないのか。ルールの中で何ができるのか。スポーツしていると勝手にクセがついているんですよね。そういう部分を社会に出た時にでも、生かせられるような話だったりとか、そういうことが社会と、つながってくるんじゃないかと思いますね。

――

例えば企業の社員育成についてなら、具体的にどんなことが大事だと思われますか。

杉本

私の場合はコミュニケーションをとても大事にしていました。女子柔道部を指導していたのですが、高校卒業して入ってくるとか、大学卒業して入ってくるとか、経験も出会いも全然違ったりとか、同じはいないんですよね。で、関わり方とかを変えたりとか、何か見てもらいたいっていう子もいれば、独りでもやりたいという子もいるんですよね。
そういう感じというのは見えてくるんで、その部分では声かけするタイミング、言葉のチョイス、人のいる前で話をするんじゃなく、その子と別のところで話す、というのも結構変えてやっていましたね。まあ自己流にはなるんですけど、私自身が指導してもらって心地よかったなというのも取り入れつつ、逆にこうしてほしかったなというのも交えて、自己流で作ったものをやってみた、というだけなんですけど、そういうのも全部ひっくるめてやっぱり大事なのはコミュニケーションだなと思います。

こうだろうと憶測もあるかもしれないし、まあそれはアスリートだけじゃなく、会社でもそうだと思いますが、こうじゃないかな、こう思ってるんじゃないかな、でも配慮してこうやろうというのが、もしかしたらそれがありがた迷惑じゃないか、とかそういう可能性もあるので、そういうことを、無駄なことを考えない、無駄な悩みを作らないためにも、コミュニケーションを取るように意識してましたね。
だからこそ、この子はこういう考え方なんだとか、今は試合前だし、あんまりアドバイスしてほしくないのかとか知ることができるんで「何かあったら言ってね」という感じで私は言ってました。

道場を見て感動、両親を説得してはじめた柔道

柔道をはじめたきっかけや、柔道を通した出会い、杉本氏が頑張り続けられた理由について語っていただきました。

――

少しプライベートなお話も聞きたいのですが…兵庫県伊丹市ご出身で、最初に始めたスポーツは柔道ではなくて、硬式テニスだったとか。テニスはちょっと意外な感じですが、どんなお子さんだったのですか。

杉本

いろんなスポーツをしていたんですけど、確かに柔道を始める前はテニスをしていまして…テニスというのは母親がしていて、姉もしていたので、「じゃ、やってみようか」という感じでテニスを習わせてもらったんですけど…。まぁ、向いてなくて、本当に(笑)。全くもって向いていない。もう常にパワーテニスをしているような感じで、続けていたんですけど、私の中で「(私に向いているスポーツは)テニスではないな」と思っていたんです。
で、家の近くに(柔道)道場があったこともあるんですけど、道場を見学して、感動して、もう「やりたい」というふうになって。それで両親を説得して、始めました。キッカケは、友達から「力強いから柔道してみたら」という感じだったんですけど、柔道はテレビでも見たことなかったので、見学に行ったら「えっ、柔道って、どうなってんの」みたいな感じで。
例えばサッカーなら「ボール蹴ればいいんでしょ」みたいな、何となくルールが分かるんですけど、柔道のルールはよく分からないし、どういう原理で人が浮いているのか、投げられているのか、分からない。たぶん知らないことを知るのが好きな子どもだったんだなと思いますが…。そういうことで「(両親に)柔道をやりたい」と説得しました。

――

小学校高学年の時に土曜柔道教室に通い出したのが柔道との出会いで、それがオリンピック銀メダリストの原点ということでしょうか。当時の柔道界で憧れの選手、目標の選手とかはおられましたか。

杉本

(柔道を始めた)そのころ、私自身は憧れの選手とかはいなかったんですけど、年代的には田村亮子さんはもう活躍されていましたね。(私の場合は)憧れの選手がいて始めたというより、柔道を始めてからこういう柔道家になりたいなという人を見つけて、その人に向かって、立ち向かっていった感じです。

――

柔道でめきめき頭角を現して期待の選手へと育っていきます。柔道にのめり込んだ理由は何だったのでしょう。

杉本

柔道は「奥が深かった」ですね。いまだに分からないことはいっぱいあるんですよ。だから面白い。ゴールがないというところがまた面白さなんですけど。小さい時は人を投げたということが楽しかった。そういうことが大きかったですね。
あとは柔道を始めてちょっとたってからは、試合でいいところを見せたい、勝ちたいという欲ができてきたのがあって、自分が(練習で)やってきたことができたり、周りの人が(試合に勝つと)喜んでくれている、そういう状況を目の当たりにして、「あっ、私が頑張ると周りの人も喜んでくれるんだ」というパワーになって、柔道にのめりこんでいきましたね。

――

アスリートにケガはつきものかもしれないですが、特に杉本さんはケガに悩まされ、辛い時期を過ごされたとのお話をよく聞きます。どのケガが1番キツかったでしょうか。ケガとの戦いについてお話しいただけますか。

杉本

いやぁ、全部キツかったですよ(笑)。手術6回ぐらいしていますけど…それ以外にも、全身ケガをしていますので。でもそのケガ、ケガで学ぶことは全部違いましたね。ケガで学ばせてもらったというか…引退してから思うようになったんですが「(今では)ケガしてよかったな」というふうに思っています(笑)。
ケガすることはあんまりよくないし、ライバルに遅れをとるという意味でもですね、本当に苦しい時期を何度も何度も経験したんですけども、ケガをしたことによって学ぶこと、他の人が経験しないことをできたっていうところでは、今になってケガは、私の中では良かったかなと思えるようになりました。

目標の先輩からバトンを受け継いだ競技人生

2010年東京の世界選手権では、日本人女子選手初の二階級制覇金メダル獲得をを成し遂げるまでの競技人生のほか、尊敬する先輩である塚田真希さんについても語ってくださいました。

――

2010年東京の世界選手権では7kg級と無差別級で金メダルを獲得、日本人女子選手初の二階級制覇を成し遂げました。

杉本

目の前のことを一生懸命コツコツとやるという感じだったので、この階級2つ取ったら「私が日本女子初だ~」というような力みはなかったですね。でも世界選手権2階級制覇した時の思いは、オリンピックと同等なぐらいの思いがありました。あの時はまだ日本の78kg超級では、1番手ではなかったんです。
チャレンジャーだったので、もういろんな人の胸を借りて、「絶対に優勝してやる~」ぐらいのチャレンジャーの気持ちで挑んだ大会ではありました。

――

その2年後の2012年ロンドンオリンピック7kg級で銀メダルを獲得。競技人生としてはその頃がキャリアハイだったと思いますが、今振り返るとどんな3年間だったのでしょう。

杉本

うーん、2010年の世界選手権で、私が目標としていたある選手が引退をされたんですよね。その時に私自身、その方がその大会で引退されるというのは知らなかったんですけど、(78kg超級で金メダルを獲得した)表彰式の時に、(銅メダルのその先輩から)「78kg超級は杉本に任したよ」というバトンをもらったんですよね。それが私にとっては大きくて。
目標としていた方からバトンを受け継ぐ…、今まではこの人を倒すぞ、胸を借りるぞ、というような思いだったんですけど、そうじゃなく次は私が引っ張る立場になる、その先輩のバトンを受け継がないといけない、って思った時に、結構、さらに、本気で柔道って競技に向き合うようになりました。

ケガをすることも多かったし、その経験をただ単に(ケガから)回復するためだけではなく、その間に何が出来るのかだとか、自分がオリンピックの目標をクリアする、プラスアルファ、その下をどう育てようかとか、それも考えなきゃいけない3年間でしたね。で、その3年間でオリンピック代表になれるか、どうか、(オリンピックでは)柔道は1階級1人なので、全く予想もつかないし、下の子(後輩)たちも強かったので、必死なことは必死でした。で、やっとオリンピックの切符をつかんだという感じでしたね。

――

そのバトンを渡した先輩というのは、塚田真希さん(2004年アテネ五輪78kg超級金メダリスト、2008年北京同級銀メダリスト)ですね。

杉本

そう、塚田先輩です。塚田先輩が、言ってくれたんです。あの方は競技者としても、人としても、学ぶことはいっぱいあって、柔道だけじゃないことを教えてくれる先輩というのは数少ないんですよね。柔道だけの常識では社会で通用しない部分はたくさんあるので、そこを塚田先輩からは教えてもらったな、というところもあります。塚田先輩の言葉だったりとか、競技の向き合い方だったりとか、そういうところを真似しながらも自己流を作っていったというような3年間でした。

――

2012年ロンドン五輪の男女柔道は、男子が史上初の金メダルなし、女子の金メダルは57kg級の松本薫さんだけで、女子の銀メダルも杉本さん1人でした。杉本さんには金メダルの期待が大きかっただけに、当時は悔しい銀だったと思いますが、あれから10年以上経った今、銀メダリストの自身を客観的にどう評価されますか。

杉本

あの時のことをあんまり振り返ることができないくらい悔しかったという思いがあるんですよね。でも今になって、ゆっくり考えてみた時に「自分に起こることというのは意味があるな」と思っています。「金メダルじゃなくて銀メダルだった意味は何なのか」。一生かけて見つけていきたいなと思っています。

講演で伝えたい「勇気」「チャレンジ」

――

引退後はコマツ女子柔道部のコーチ・監督を歴任された他、テレビ・イベント等の出演や柔道教室を通じて普及活動に励まれています。講演会の活動もその一環だと思いますが、柔道界への思いを聞かせてください。

杉本

恩返しがしたいですね。私にとって柔道は、もうなくてはならないものではあるんですけど、そこで出会った人だったり、経験したこと、学んだこと、いいことばっかりではなかったし、苦しいことの方が多かったし、負けることの方が多かったし、そういう部分では、自分を知るのに必要だったのが柔道だったなと思うんですよね。だから柔道には恩返しをしたい。また私が何かすることによって、下の世代にも道を作ってあげたいというのが大きいです。ただ単に柔道だけをする、オリンピックに出るのが夢でそれをかなえるためだけにではなく、その後に道が出来るような人になれたらいいというふうに思っています。

あと私は人がすごく大好きなので、人の話を聞くとか、新しい、初めての人と出会うとか、その人が別にトップの方とか、結果を残しているとかじゃなく、その人の生き方とか考えた方だったりとかを知るのが好きなので、そういう出会いというのも大切にしていきたいなと思っています。いろんなところに出向いてでもいいから、いろんな人との出会いを求めていくこと、それは一生続けていくと思います。

――

プライベートでは、結婚され、昨年2月に第1子を出産されました。SNSやテレビ番組でママとしての報告もされていますが、今、1歳のお子さんを育てるママ杉本美香さんとしてのご報告をお願いします。

杉本

プライベートの話は恥ずかしくなるのですが、でも子どもが好きなので、念願の自分の子に出会えてというのが、私の中で、人生で1番大きな出来事だったと思っています。その分、いいことだけじゃないんですよ、やっぱり。もう常に寝不足だったりだとか、自分の時間がなかったりだとか、なんかこう知らないうちにメンタルの浮き沈みがあったりだとか、そういう部分もすごく経験したので。
現役中にそういうメンタルを勉強していたにもかかわらず、そういうふうになってしまうということを産んでから気付いたんですよね。そういうお母さんだったり、お父さんだったり、世の中たくさんいると思うんです。だからこそ、なんかそういう人たちのために、私がなんかできないかな、と。そういう活動をしていきたいなというのは私の新たな夢でもあるんですよね。だからなんか女性がリラックスじゃないですけど、子どもと離れて自分の時間を作る、5分でも10分でも作れるようなことってたぶんなかなか母親になったらできないんで、そういう部分もできる活動をしていきたいというふうには思っています。

あとは子どもを産んでも、その後で、もっともっと活躍できる場をどうしたら作れるのかな、というのも子どもを産んだからこその悩みであり、課題じゃないかなというのも気付けたので、そういう部分も今後何か力になれないかなと思っています。

――

最後に講演会を企画されている学校・教育関係、一般の団体や企業の担当者へ向けて、メッセージをお願いします。

杉本

講演するにあたっては現役時代に経験した1つのことに立ち向かう勇気だったりとか、立ち止まることだったりとか、試練を乗り越えるという部分はお話できるかなと思います。あとは指導者を経験させてもらって、組織、役職、そして女性アスリートを指導したという部分での経験をお話できるかなと思っています。
私はすべてのことにおいて正解はないと思っていて、正解はない中で、こういうふうなやり方もあるっていうような、何か皆さんのキッカケとかになりたいな、という思いがすごく強いので、そういう部分で今後いろんな話ができるかな、と。
あとは本当にママになって出来ることは限られてくるとは思うんですが、(ママとしての)姿をいろんな人に見てもらいたいなと思っています。まだまだ杉本美香のチャレンジを続けていきます。

――

長時間ありがとうございました。

【講演会インタビュー】杉本美香 元柔道五輪代表

杉本美香 すぎもとみか

元柔道五輪代表、ロンドン五輪銀メダリスト

1984年8月生まれ、兵庫県伊丹市出身。大阪・汎愛(はんあい)高から筑波大、筑波大大学院。現役時代は度重なる大けがに悩まされたが、その試練に打ち克ち、2010年の東京世界柔道選手権で、78㌔超級と無差別級で金メダルを獲得。日本人女子選手初となる二階級制覇を成し遂げた。そして12年ロンドン五輪では、78㌔超級で銀。...

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