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講演講師 インタビュー / ツアープロゴルフコーチ 井上透 氏

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講演講師インタビュー|21歳でプロに転向し、指導者教育を受けた後、中嶋常幸プロのコーチとして同行するなどツアープロコーチの先駆者的存在である、井上透(いのうえとおる)氏にインタビューを行いました。

目次
  1. ゴルフとの出会い
  2. 中嶋常幸プロとの出会い
  3. ジュニアの育成と早大大学院への挑戦
  4. 東大ゴルフ部のサクセスストーリー
  5. 井上透流「子育て論」と今後の目標

ゴルフとの出会い

ツアープロゴルフコーチの顔以外にも、ゴルフに関するさまざまな肩書をお持ちの井上氏に、それぞれの活動について詳しく語っていただきました。

ーー

井上さんの名刺には「国際ジュニアゴルフ育成協会理事長」「東京大学運動会ゴルフ部監督」「ツアープロコーチ」に加え、ユーチューブ「井上透ゴルフ大学」の動画制作、「横浜本牧インドアゴルフ練習場」の経営とたくさんの肩書きがあります。

現状と、それぞれの肩書きについての活動状況をお聞きかせください。

井上

「国際ジュニアゴルフ育成協会」の方では、毎年日本代表選手を選抜して、世界ジュニアゴルフ選手権に派遣しています。
毎年7月にアメリカ・サンディエゴで開催される世界最大級のジュニアゴルフの祭典で、約1000人が世界から集まってきて、上のカテゴリーだけではなくて、今年からは7歳から上の世代別日本代表という考え方で選別してアメリカへ引率する、ということをやっています。
世代別が戦うことで、日本ではどの世代が有力な子どもたちを抱えているのかが分かり、また保護者の方々にとっては世界を目指すという意味で語学の習得であるとか、そういう行動変容を起こせる非常に大事な大会ということです。

また「東京大学ゴルフ部の監督」は…、もともと私はゴルフというのを研究ととらえていて、社会人になってから早稲田大学の大学院に入ってゴルフの育成に関する研究をやっていたんです。
その流れもあって「人はなぜ学ぶのか、どのようにして学んでいくのか」ということに非常に興味があって、早稲田で学んだものを(東大の)学生たちと一緒に新しいものを作りこんでいく面白さがあって、今も継続して引き受けているということです。

「本牧(インドアゴルフ練習場)の運営」に関しては、私自身の本業ですので、一般のアマチュアゴルファーにゴルフの指導をしたり、あとプロゴルファーとのミッション(ツアープロコーチ)というのはティーチングというよりコーチングですね。
もともとかなりのハイレベルなプレーヤーたちをいかに優勝に導くか、ということで…。(活動していること)それぞれが別のミッションで、まぁ本当に人はなぜ学ぶのか、どのように成長していくのか、ということを初級者から最上級者にいたるまで、すべてをサポートしているというのが現状です。

ーー

時系列で言うとまず「ツアープロコーチ」の仕事が最初で、次にジュニアスクールを設立。育成の仕事も関わられ、そして東大ゴルフ部監督になられて、現在につながるわけですが…

そもそもゴルフとの出会いを教えていただけますか。

井上

もともと野球をやっていてですね、それこそプロ野球選手になるという子どもっぽい夢を持ちながら高校1年生まで野球をやっていたんですけど、少しケガをしてしまいまして。
なかなか、プロ野球選手になるという夢も継続できない状況になった時に、家からすぐ近くにゴルフの練習場があって。行ったことはなかったんですが、通える範囲にゴルフの練習施設があったというところが大きかったですね。

ケガをしたことをキッカケにして親から「ゴルフでもやってみたらどうだ」って、そういう話もあって、ゴルフを始めたというのがキッカケですね。

――

高校球児からゴルフの道へ…、というのは決して珍しいわけではないと思いますが、井上さんは大学進学後にゴルフ部へ入り、その後、あっさり大学をやめ、退路を断ってゴルフの本場アメリカへ飛び込まれた。この決断力、行動力はなかなか真似できるものではないと思います。

不安はなかったですか。

井上

不安というより、楽しみでしたね。

大学を卒業した後に海外、アメリカへ行ってゴルフをやる、そういう考えもありました。ただ社会人のスタートって大学を卒業する22、23歳のころという思いがあって、大学を卒業した後にプロを目指すのが社会に出ることなのか、と。
だから大学2年終了時点で、残り2年をどういうふうに過ごせば、自分がイメージしている23歳を迎えることができるんだろうと思った時、このまま日本の大学に残って、その中で練習するよりは、アメリカへ渡って2年間ゴルフを研鑽することによって、そのタイミングで何らかの形でゴルファーとして世間に出ることができないかなと、夢を持っていきましたね。

――

当然、プロゴルファーになりたいという夢を持って行かれたんですよね。

井上

もちろんです。

最初から指導者というところを選ばれて(アメリカへ)行く方もいると思いますが、私の場合はプロゴルファーとして自分が活躍するイメージを持ってアメリカへ行きました。
ただ気性として、研究者気質だったこともあり、スタートの時から完全な競技志向だけではなかったと思います。

――

プロゴルファーとしての道は簡単ではなく、結果的には断念されることになります。しかし、そこから発想を転換してアメリカで学んだゴルフの知識、スキルを生かしてゴルフコーチを目指してまた猛勉強される。
当時米ツアーでは、ツアープロコーチの地位は確立されていましたが、日本ではまだまだ根付いていない時代です。

本当にちゃんとメシを食っていけるのか…、と周囲から心配されませんでしたか。

井上

23歳で社会に出るというのが大前提としてあったので…(プロゴルファーとして)まったく箸にも棒にもかからないというレベルではなかったと思うんですが、何しろ1番大事だったのは自立するということだったので。
そうするとプロゴルファーで自立するというよりも、指導者として自立する方が近道であった、というところと、アメリカに行っている当時、片山晋呉プロとプロゴルファーとしてお互いミニツアーとかでラウンドすることがあって、片山プロが練習終わりにゴルフの話をしているときに、私の知見を評価してくれるんです。
「君はすごいね、知識量がすごいね」と評価をいただいて、指導者としての自信を深めるのは、そういうところにもあったのかと思います。
日本のツアーできっかけを作ってくれたのも片山プロでした。サントリーオープンのキャディをやってほしいという打診があって、それでキャディをやったんです。その試合には米山剛プロや杉本周作プロとかも出ていて、彼らに「この子はすごいんだ」とインフルエンスしてくれて。
そういう流れがあって、彼らからも「アメリカの最先端の理論というのを僕らに指導してくれないか」と打診があって、そういうことがキッカケでした。

中嶋常幸プロとの出会い

ツアープロコーチとしてのターニングポイントとなった、中嶋常幸プロとの出会いについて語っていただきました

――

ツアープロコーチとしてのターニングポイントは、やはりAONの一人、中嶋常幸プロとの出会いだったのではないでしょうか。あの中嶋プロに認められ、まさかコーチを頼まれるとは…

1番驚かれたのは井上さんだったかもしれないですが、その時の率直なお気持ちをお聞かせください。

井上

いやぁ、まぁ驚きましたよね。

当時まだ私は24歳になったばかりだったんですけど、米山剛プロとは年間契約をしていて、それこそプロコーチとして駆け出しのころですね。
杉本周作プロ、米山剛プロ、奥田靖己プロたちと契約し始めて、プロコーチとして駆けだしたのが24歳、そのタイミングの時に中島常幸プロがふわぁーと練習場の後ろの方に来て、「おい、ツヨシ(米山剛プロ)、こいつ誰?」みたいな感じで聞かれて。
米山剛プロが「私のコーチです。彼(井上透氏)はアメリカで学んできて非常に面白いんですよ」と、紹介してくれたんです。中嶋プロは当時、絶不調というか悩まれて調子も落とされていて、私がアメリカで学んできたこととか最先端の理論とかすごく興味があったみたいでした。
でも何にも言わないんですよ、コーチになってくれとも何とも言わないんです。けれども「来週までにオレの質問に対してリポートを書いてきてくれ」と。「アドレスに関してどう考えているか、リポートを書いてきてくれ」と。
それで翌週までにリポートを書いて持っていくんですが、もちろん、肌感覚として中嶋プロは私に興味を持ってくれているんだ、というのは当然察しはついていたので、それこそ必死ですよね。審査されているのはヒシヒシ感じていましたから、もう本を書くぐらいのつもりで、今ある情報をぶつけて、中嶋プロがどういう反応を示してくれるのか、楽しみにしながらリポートを出したんですけども、無反応なんですよね。ペラペラと読むんですが「分かった」というだけなんですよ。すると「今度は グリップについて書いてきてくれ」って言われて。
そういうのを2ヵ月ぐらい続けて、ある時に中嶋プロから「分かった、オレのコーチを頼む」とコーチを打診されて、そこからスタートしたっていう感じです。非常に慎重に、コーチとしての適正期間というか、何を考えているか、そういう期間があって、採用されたという感じでしょうかね。

――

その時はやったというか、自信になったというか、これでツアープロコーチとして認められた、という手応えがあったんじゃないでしょうか。

井上

ありましたね。

当時、本当にプロコーチは(日本のツアーに)1人もいなくてですね。師匠という感じの方はいたんですが、常駐なさってなくて、ツアーにコーチとか師匠がいる環境はなかった。その時に何か、若造がプロゴルファーたちの後ろにいてビデオ撮ったりして指導している、と。
そういうある種、不思議な絵といえば絵だったんじゃないかと思うんですよね。まだ私は20代前半でしたし、指導しているプロは奥田靖己プロとか…、当時重鎮だったプロたちにも興味を持ってもらっていたわけで。
そして中嶋プロにも興味を持ってもらって、コーチになった瞬間から周囲のベテランプロたちの雰囲気が変わりましたね。「アイツは何かある」と。「何かあるから中嶋プロが契約をしているんだ」と。「何かある」って言うことを(周囲のプロたちに)感じさせてくれたのが中嶋プロの存在だったということですね。

ジュニアの育成と早大大学院への挑戦

なぜジュニアの育成をはじめたのか、また、自らの学びのために挑戦した早大大学院への進学と研究内容について語っていただきました。

――

日本のトッププロに認められ、これからさらにツアープロコーチとして飛躍しようとする時に、あえてというか、今度はジュニアの育成に目を向けられます。

ツアープロコーチから、なぜジュニアだったのでしょう?

井上

当時、一般のアマチュアゴルファーは指導していなかったんですよ。それこそツアーにコーチとして張り付きでコーチしていたので。
中嶋プロも「お前はプロのコーチなんだ」と。プロとアマの差、プロコーチとしての厳しさを言おうとしたのだと思いますが「アマチュアゴルファーのためにお前はいるんじゃない、プロゴルファーを優勝させるためにお前はいるんだ」と、ものすごく高い意識で私に「プロたるものは何だ」って、食事をしているときなんかにお話してくださるんですね。
だから当時、アマチュアゴルファーへの指導は、プロゴルファーに対して失礼という感覚が私にはあって、とはいえ、この業界にも恩返しをしないといけない、と。次世代のプロを育てるという意識が高まっていて、プロゴルファーの次はアマではなくジュニアだというところで、ジュニアゴルファーの指導に行ったのが経緯です。

――

ジュニアスクールを設立され、その1期生には吉田弓美子プロがいて、また成田美寿々プロや川岸史果プロも巣立ちました。

ジュニアの頃の彼女たちには、当時から何か光るものを感じられましたか。

井上

ありましたけど…。今、思うのは、最初の素材だけですべてが決まるものではないということでしょうか。

うまい選手をうまくするということは、ある意味、ミッションとしてはそこしか見てないと、そこしか自分にとって成長していないという感覚があったんですよ。
ゴルフクラブを握ってどういうふうに成長していくかという過程を見ていないということは自分にとってものすごく弱点だと思いましたし、そういう(ジュニアの)選手をサポートすることで指導者として成長できるんだろうなって、いうのがまずあって。
私の場合は非常にまれな指導者としてのスタートをして、(それは)いきなり大学の教授からスタートしたようなもので、いきなりアメリカで自分が戦うために学んだことがツアーの選手に評価されて、いきなりツアーのコーチというところに抜擢されて。
それこそアマチュアゴルファーの指導経験もほぼない、ジュニアゴルファーの指導経験もほぼない、いきなりトッププロゴルフのコーチをしているという、なかなかないスタートを切ることができて、それが自分にとってコーチとして指導者としてそれではいけないという危機感がありましてね。
それで彼女たちと出会うことで、指導しているんですが、逆に成長させてもらったという感覚になりましたね。

――

ツアープロコーチ、ジュニアの育成…と順風満帆、軌道に乗りかけたころにまた新たな挑戦をされます。
早稲田大学の大学院に挑戦し、合格され、大学院でジュニアゴルファーの強化や育成に関する研究を始められた。年下の学生たちに交じって書き上げた卒論「韓国におけるプロゴルファーの強化・育成に関する研究」は、その年(2011年)の早大大学院の最優秀論文賞に選ばれます。
井上さんが37~38歳の頃でしょうか。そのエネルギーに脱帽です。

井上

いつも思っていたのは、コーチとして全力でやって、(選手が)非常にいい時もあれば逆に悪くなってしまうこともある。その中で何を選手たちに提供できるのかというのはいつも思っていて、もっとちゃんとしたことを提供できるんじゃないか、もっと1年でも長く現役を続けることができたんじゃないか、とか。
コーチとしてブラッシュアップしていくことが何よりも大事なことであり、そのころ韓国人選手が強くなってきたこともあり、またあるニュースで(元)巨人の桑田真澄投手が早稲田大学大学院に入学することを聞いた時に、「早稲田って、もう一度こういうふうに学び直せるんだ」というのが情報としてあったので、私も早稲田大学の大学院で勉強したいなと思いが強くなって。
そこからしっかり準備を始めて「ゴルフの育成に関する研究をやりたいんだ」と教授たちの前でプレゼンをして、合格したという流れですね。

東大ゴルフ部のサクセスストーリー

業績V字回復の参考になると、経営者や企業の人事担当者に定評がある「東大ゴルフ部サクセスストーリー」について語っていただきました。

――

早大大学院を卒業した5年後の2016年、今度は東大ゴルフ部と関わることになります。経緯について、簡単にご説明していただけますでしょうか。

井上

その当時、私の息子が東大を目指していて…、まだ高校生だったんですが(東大の)学園祭に行った時に、ゴルフ部の先輩たちと出会うことがあって。
息子もゴルフをやっていて、先輩たちと文化祭で知り合って、それがきっかけで一緒にその東大ゴルフ部の先輩たちとゴルフに行く間柄になったんですね。
で、その時に息子を通じて「東大ゴルフ部ってこういう活動をしているんだよ」って話を聞いていて、それは本当に大変でまったくうまくなれないような環境だなと思っていたんです。
それでちょっと子どもを通じて講習会ぐらいだったら…、当時の東大ゴルフ部には監督もいないし、指導を任されるような、請け負えるような人がいないと言う状況だったので、まずは「講習会をしてみようか」という話をしたら、彼らからコーチへの就任の打診があって、それでコーチに就任したのが経緯ですね。

――

東大ゴルフ部の学生たちとの交流をドキュメント風に描いた著書「弱小集団東大ゴルフ部が優勝しちゃったゴルフ術」を読むと、最初は軽~い気持ちで関わり、しかし学生たちと向き合う中でだんだんのめり込み、最後は何とか結果を出させたいと本気になって力が入っていく。
お金にならない仕事なのに、学生たちと一丸となって汗を流し、最後は対抗戦Dブロックで優勝して号泣する…。
このプロセスこそ井上さんの生き様の真骨頂のように思います。

井上

まあ私自身も楽しめたということと、それと…今、就任して8年ぐらい経つんですが、なぜ(東大ゴルフ部の指導を)継続できているのかというと、彼らと追求したいことは同じで、やっぱりゴルフってどうやったら成長するのか、その根幹に毎年向き合えるからなんです。
毎年東大ゴルフ部ってゴルフ経験ゼロの子が(一定数)入部してくるんです。もちろん、経験者というのも一部いるわけですが、そのゼロの子がどういう成長をするのか、というのが私にとって興味があるところで。
その彼らと4年間、約3年半ですが、そのミッションの期間でどれだけのことを成し遂げられるのかというのを毎年のように見ていけるのは、私にとって大きな意味があることで、なぜどのように人は運動、学習していくのかを毎年実験させていただいているという感じです。

――

「お金がない、時間がない、環境がない、体力がない、経験がない、あるのは明晰な頭脳だけ」という東大ゴルフ部で、井上さんがやったことは「明確な目標を設定し、上達のメカニズムを教え、意識を変え、コスパ、タイパを考えた練習をマネジメントすること」。
これって、倒産寸前のある中小企業がある管理職のリーダーシップで社内に革命を起こして業績をV字回復させる…、というような、東大ゴルフ部のサクセス話は、経営者や企業の人事担当者にも参考になるのではないか、と思うんです。いかがでしょう。

井上

そうですね。おっしゃる通りですね。

私がその本を書いた当時と、今私が東大ゴルフ部の中でやっていること、取り組んでいることと、実際には違っていたりするんですが、それは毎年のように新しい部員が出てきて、研究を進めていく中で、最も効果的であることを積み重ねながら新しいことをやっていて。
今、現在彼らと取り組んでいる最先端の内容は無意識学習、潜在意識学習です。ゴルフっていう動き、スポーツは、静から動、アドレスで止まっている状態から動き出すという非常に難しいスポーツです。
他の野球とかテニスとか対戦型のスポーツの場合、自分から動き出すというより相手のタイミングに合わせる、ボールに合わせるということですが、ゴルフの場合は、ボールそのものは動かないので、自分でその動きをスタートさせる、そのことが難しいわけですが。
それをどうやってほぼほぼ無意識化して打たせるか、プロとアマ、上級者とそうでないプレーヤーの境目は何なんだというと、それは無意識領域がどこまで広いかということと考えていて。
その潜在意識、潜在能力をどこまで引き上げられるのかというところを、今東大ゴルフ部の中でも相当注目しながらトレーニングさせているという状況ですね。

――

東大ゴルフ部としての目標はどのあたりに置かれているのでしょう。現在(2023年秋季リーグの結果)、男子はCブロック、女子はEブロックですが、やはり目指すのはBブロック入り、Aブロック入りでしょうか。

井上

もちろん、リーグ戦ではブロックで優勝して上がるというのがチームとしては目標であったりしますが、それこそそれは東大が箱根駅伝に出るというぐらい難しいことで。
全く(ゴルフ経験)ゼロの子が、例えばプロゴルファーを6歳ぐらいから目指している子たちが、大挙しているような大学に勝つというのは、それこそ並大抵のことではないんです。なので基本的な目標というのは部員全員がかなり上達して70台で回れるスキルを持つというのが、私としての、コーチとしての目標です。
でもそれでは、70台で回るスキルでは、Cブロックなんですよ。今、東大(男子)は基本的にはレギュラー勢の平均スコアは77~79台までで、ここ4~5年間、ずっとこのクオリティーを守っているのですけど、それがCブロック(のレベル)なんですよ。
だいたいAブロックの平均は72付近、Bブロックは74~75ですね。Cブロックの上位勢は77~78ぐらい。Dブロックで80ぐらい、これが今のブロックによるレベルで、東大の今の70台後半というのはかなり頑張らないと(Cブロックで)継続するのが難しいレベルにいるのであって。
リーグを上げるぞ、というのは私にとってそんなに大きな目標ではないんです。それより部員全員が70台で回れるようになるということの方がはるかに意味があると思っています。

井上透流「子育て論」と今後の目標

井上家の子育てや東大ゴルフ部との縁を作ってくれた息子さんのその後にのお話や、次の節目となる60歳を迎えるまでに井上氏が達成したいことについて語っていただきました。

――

少しプライベートな話も大丈夫でしょうか。ご家族のこと、教育方針のこと、また東大ゴルフ部との縁を作ってくれた息子さんはその後、どうされているのですか?

井上

我が家は基本的には、文武両道ができるという前提の上で、小さい時からゴルフを遊び感覚でやらせていたんです。
もちろん、子どもが自主的にゴルフを選択するということはなかったのですが、私が子供に関わるにはゴルフをやらないと出来なかったわけです。だから毎週家族のミッションで日曜日の朝早くゴルフに行って、それが終わって家に帰ってから私は仕事へ行くというような、それを繰り返すということが親父としての子どもとの約束というか、それが親として子供たちにやってあげられることだったわけです。
練習場もあまり連れていけなかったです。週に1回~2回、練習場に1時間ぐらい連れていってあげて、ラウンドは行ける時の週末、それが私がこどもたちに直接やってあげられることだった。

またうちは比較的勉強する文化も流れていて、勉強をやれる環境というのを親として整えていた。その結果、比較的勉強とゴルフで意識が高い子どもたちが育った。そういう意味では、我が家も「人はなぜ成長するのか」というところを実際子供たちに提供した、実験ではないですが(笑)、それは子どもたちにやってあげたことだったということですね。
自分たちの子どもだけではなく、ジュニアスクールの子どもたちもそうですし、今携わっているプロたちも私にとってはすべてが強化であり、育成であるということは変わりがなくて、我が家でも全く同じことをやっていたという感じですね。

――

で、結局息子さんは東大に受かってゴルフ部に入られたんですか。

井上

そうですね、その後、東大に受かって、東大ゴルフ部で頑張りながら卒業して、今はもう社会人になっております。

――

現在50歳ですが、次の節目となる60歳までに達成したいことってありますか。

井上

「人はなぜ成長するのか」というところをさらに追求したいですね。

今は脳科学とかそういうところに非常に興味があって、個人的には東大ゴルフ部の成長を彼らと一緒に研究しているという感じですかね。
機会があれば論文ベースでそういう研究もしたいと思いますし、今まで自分が培ってきた知見とかを誰かに伝えないといけないという時期でもあるなと思っているので、その伝える媒体として例えばユーチューブとかかなと思います。
手軽に正しい情報を、私が培ってきたことをインフルエンスする方法とは、今なら自分たちでも発信することができるので、それが日本のスポーツ界が高みにいける一助になればいいのかなと思っています。

――

最後に講演を企画、検討されている企業・団体さまへ向けて、井上さんからメッセージをお願いします。

井上

私は「人はなぜ育つのか、成長できるのか」ということを日々研究していて、皆さまに非常に有益な情報を提供することができると思っております。
是非、ご興味があれば、私を呼んでいただければ、興味あるお話をできることを楽しみにしております。

――

長い時間、ありがとうございました。

ツアープロゴルフコーチ 井上透氏インタビュー

井上透 いのうえとおる

ツアープロゴルフコーチ

1973年4月3日、神奈川県横浜市生まれ。法政二高時代は、野球部だったが故障し、2年からゴルフを始める。 法政大学2年修了後に、米国ゴルフ留学に参加。21歳でプロ転向。指導者教育も受け、98~01年まで中嶋常幸のコーチとして同行した。米山剛、佐藤信人らとも契約し、ツアープロコーチの先駆者的存在。女子プロゴルファ...

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