講演会・セミナーのキャスティング、講演依頼は講師派遣ナビコラム・インタビュー講演会講師インタビュー / プロキャディー 清水重憲 氏

講演会講師インタビュー / プロキャディー 清水重憲 氏

Share
  • Twitter
  • Facebook
  • Pocket

講演会講師インタビュー|史上初の男女2冠キャディーとなった後、韓国人プロのイ・ボミ選手を2年連続賞金女王へとサポート。日本におけるプロキャディーという職業を世間に認知させた、清水重憲(しみずしげのり)氏にインタビューをしました。

目次
  1. プロキャディーという言葉がなかった時代
  2. 史上初、男女2人の人気ゴルファーを賞金王へと導く
  3. イ・ボミプロとの出会い
  4. プロキャディーは見た、勝てるプロと勝てないプロの差
  5. 清水重憲キャディー通算40勝の軌跡

プロキャディーという言葉がなかった時代

「プロキャディー」という言葉自体がまだなかった時代に、清水さんは、なぜそれを仕事にしようと思ったのか。プロキャディーを目指したきっかけについてお話を伺いました。

清水

大学(近大)時代にゴルフ部に入っていまして、1つ上の先輩の杉本周作プロが卒業され、プロゴルファーになられて1年目からツアーに出るので「プロキャディーという仕事があるんだけど、してみないか」と、誘われたのが最初、きっかけですね。

――

大学を卒業してすぐプロキャディーを目指すというのは、かなり思い切った決断だったのではと想像しますが、周囲はどんな反応だったのでしょう。

清水

その時代はまだ「プロキャディー」という言葉がなかったですし、大学を卒業したら就職するのが普通でした。私はたまたま誘われて、最初はアルバイト感覚でやらせていただいたんですけども、両親はもちろん反対でした。
それでもまだ1年目はアルバイト感覚でできたんですけども、2年目以降は猛反対されましたね。今考えると、よくやらせてくれたなって感じですね。

――

当時はゴルフブームだったとはいえ、キャディーを職業にしていくにはまだまだ不安定で、リスクもあったと思います。清水さんをプロキャディーに駆り立てたものとは何だったのでしょうか。

清水

何だったんでしょうかね。その当時はプロキャディーという言葉がなかったので、(イメージとしては)選手についてサポートするというか、分かりやすく言えば「カバン持ち」のような感じでしたね。将来プロゴルファーを目指す(ゴルフ場の)研修生が勉強のためにバッグを担がせてもらうというのはありましたが…。

――

当時日本ツアーでのプロキャディーといえば、ジャンボ尾崎プロの佐野木計至さん、青木功プロの中居謹蔵さんらが有名でしたが、ご存じでしたか。

清水

もちろん、知っていました。佐野木さんなんて、ジャンボ(尾崎)さんの右腕となってずっと戦っておられたので、目標でもあり、大先輩でしたね。

――

新卒でプロキャディーをされていた方はほかに誰かおられましたか。

清水

その当時は、私と同じようなプロキャディーという仕事をやっていたのが7~8人しかいなかったと思います。正直、その方々が大卒だったのか、高卒だったか、そこまで分からないのですが、まあ同年代ですよね。
その頃なら丸山茂樹プロのキャディーさんや深堀圭一郎プロのキャディーさん、AON(青木功、尾崎将司、中嶋常幸)の次の時代ですよね、伊沢利光プロのキャディーさんとか、彼らは同年代でやっていたんですが、まあすごく少なかったので珍しい仕事だなと思いながらやらせてもらっていました。
正直、私自身も2~3年、長くても4~5年やらせてもらったら違う仕事に変わるのかなと思っていました。まさかこんな長くやるとは思ってなかったです。

――

プロキャディーとしてのデビュー戦は覚えておられますか。

清水

杉本周作プロのデビュー戦でもあるブリヂストンオープン(1996年10月)でしたね。私はまだ大学4年生の時でして、杉本プロがプロテストをトップ通過されたので、そのご褒美といいますか、兼ね合いで、すごくいい組に入れていただきまして。
尾崎直道プロとニック・ファルドと回ったんですよ。ニック・ファルドがその年(1996年)のマスターズチャンピオンだったので、もうすごい緊張というか、ワクワクした思い出がありますね(初日成績:ニック・ファルド74=79位タイ、尾崎直道71=30位タイ、杉本周作71=30位タイ、最終成績は、ファルドは予選落ち、尾崎直16位タイ、杉本34位タイ)。

――

転機となったのは大学卒業して2年後の98年、田中秀道プロのバッグを担いだことでしょうか。その年に日本オープンを含めて3勝、コンビを組んで4年間で6勝するなど、プロキャディーとしての礎を築いた時期だったと思います。田中秀道プロとの出会い、教わったこと、思い出…お聞かせください。

清水

田中プロには本当にたくさんのことを学ばせていただきました。大学を卒業して2年後に出会いましてですね。ちょうど田中プロもキャディーを探されているということで、私を育てようと思っていたのか、正直、非常に厳しく接していただきましてですね。
その時ずっと言われていたのが「将来ずっとオレのキャディーを長くはできないぞ」と。違うプロのキャディーをやることになっても「清水はよくやってくれているな、と思ってもらうために厳しくしている」とおっしゃったんですけども、私にはその時「何を言っているのかな」という感じでした。
でも今思えばですね、厳しく接していただいたおかげで、今がありますので、すごく感謝しております。その当時は「嫌だな」とか、「早く帰りたいな」とか、「早く休みがほしいな」としか思ってなかったですね。でも今思えば、感謝の言葉しかないですね。

――

キャディーをやめようという気持ちにはなられなかったのですか。

清水

田中プロのキャディーをしていた頃、「やめよう」と思ったことは、もう100回以上ありました(笑)。毎日のように思っていまして…。でも、今思えば「やめなくてよかったな」と思っているんですけども(笑)。まあ田中プロのキャディーの時に結婚もしまして、子供もできて、家庭ができたので、このままプロキャディーを続けていてもいいのだろうか、という葛藤がありましてですね。今思えば、結婚もして、子供もできて、よくプロキャディーを続けたなと思いますね。

――

結婚して子供ができてという状況で、経済的な不安はなかったですか。

清水

(将来に向けた経済的な)計算ができていたかどうかは微妙なところですけども、子供も小っちゃかったということで、「まだお金もそんなにかからないだろうし」というような話を妻としたことは覚えていますね。妻の方から「もうちょっと続けたら…」という言葉をかけてくれまして。
田中プロとは年間契約、専属契約だったので、一応、毎月の給料という形で(収入は)安定していたということもありました。今はプロと年間契約するキャディーは少ないんですが…。

史上初、男女2人の人気ゴルファーを賞金王へと導く

通算40勝という歴代最多記録をつくりあげ、、日本におけるプロキャディーという職業を世間に認知させた清水氏。どのような出会いがあり、学ぶことができたのか、「史上初の男女2冠キャディー」と呼ばるまでのエピソードをお話しいただきました。

――

その後、近大ゴルフ部で同級生だった井上真由美プロの初勝利をサポートされました。2002年4月のプロミス・レディースで、女子プロのキャディーとしては初勝利でした。

清水

(井上プロが優勝した時のことは)よく覚えていますね。2001年ぐらいから男子の試合以外に、女子の試合にもキャディーとして行こうかというような話になりましてね、その当時一緒にやっているキャディー仲間と。
その頃は女子ツアーで知っているプロがあまりいなかったので、近大ゴルフ部時代の同級生だった、井上真由美プロにお願いしてキャディーをやらせてもらっていたんです。2002年4月のプロミス・レディースで、女子の試合では初めて優勝させていただきました。(井上プロは)すごい緊張をされていて、緊張をほぐすのが大変だったな、というのが思い出ですかね。

――

2004年からは谷口徹プロとコンビを組まれます。専属キャディーとして6年近くの間、日本オープン2勝など計8度の優勝を支えました。「和製ウッズ」と呼ばれた谷口プロとのコンビもまた、清水さんにとっては大きな出会いだったのではないですか。

清水

谷口プロとの出会いは、先ほどの田中秀道プロと同じくらい今に影響していますね。谷口プロというとパターがうまいとか、ショートゲームがうまいとか言われているんですけど、個人的には頭がいいといいますか、ゴルフのマネジメントというか、戦略が素晴らしい。
分かりやすくいいますと、谷口プロというのは決して飛距離が出るタイプのプロではなかったんですね。ただ賞金王になったり、年間のパー5の平均スコアが一番良かったりとかするんです。パー5だとやっぱり飛距離が出るプロがいいスコアで上がる確率が高いと、バーディー、イーグルをとりやすいと思うんですが、飛ばないプロが飛ぶプロに勝つにはコースマネジメントが必要なんだということを教えていただきましたね。それを今は若いプロに伝えているという感じではありますね。

――

谷口プロとの専属キャディー契約中の2007年、女子の上田桃子プロとレンタル契約を結ばれます。谷口プロの試合が開催されない週には、上田プロにフル帯同し、2人とも大活躍。このシーズン、谷口プロが賞金王に、上田プロが賞金女王となり、なんと史上初の男女2冠キャディーになられました。

清水

2003~4年ぐらいからでしょうか、男子のトーナメントが少なくなってきまして、「女子のトーナメントにもプロキャディーとして行こう」となってきたんです。そして2004年に上田プロと知り合いまして、女子の試合の時は上田プロ、男子の試合の時には谷口プロのキャディーをさせていただくようになりました。本当にたまたまなのか、運よく2人のプロが賞金王、賞金女王になりまして、史上初の男女2冠キャディーと言っていただいて、ものすごく光栄でしたね。今もこういうふうに長くキャディーをさせていただいているのも、この年の出来事のおかげかな、すごくよかった年でしたね。

――

その後は諸見里しのぶプロ、平塚哲二プロ、藤田寛之プロらとのコンビで優勝をサポートしました。それぞれ印象に残るプロだったと思いますが、何か思い出はありますか。

諸見里しのぶプロは、その当時、上田桃子プロのライバルでもあり、コーチが同じ方で、同門でもあったんです。同門であって、ライバルだったんですけど、諸見里しのぶプロとは日本女子プロ選手権(2009年9月)でキャディーをさせてもらって優勝したんです。
思い出すのは最終日の18番ホールですね。2位(以下)と7打差(以上)があるにもかかわらず、最後までコースマネジメントして、「すごく真面目だな」と思いましたね。どんなにミスしても、さすがに最終ホール、この差は逆転されることはないだろうに、でも真剣に真面目にいろんな相談を最終ホールまでしてきたのを今も思い出しますね。

平塚哲二プロの優勝はパナソニックオープン(2011年9月)で、滋賀県の琵琶湖カントリー倶楽部であったんですが、平塚プロは京都出身で、今のお住まいが滋賀県(大津市)という超地元の大会で優勝できたということをすごく喜んでいらっしゃいました。琵琶湖カントリー倶楽部(大津市の自宅から車で20分)も何度も何度もジュニアのころから回っているコースらしくって、「誰よりもこのコースをよく知っている」と練習ラウンドから言われていて、そういう地元の大会ですごくプレッシャーもあったと思うんですけども、見事逆転優勝されて、その夜はたくさんお酒を飲んだ記憶、思い出がありますね。

藤田プロとは初めてのコンビ(2014年つるやオープン)で、まだそんなに知っている感じではなかったんですが、勉強させてもらうつもりで組んだんですけども、最終日3位からスタートして、最終的にはプレーオフだったんですけども、藤田プロの冷静なゴルフを間近で見れて、勉強になったというのが思い出ですね。

イ・ボミプロとの出会い

女子プロゴルフ界屈指の人気者イ・ボミ氏。日本ツアーに参戦したイ・ボミ氏とどのような出会いがあり専属キャディーとなったのか、イ・ボミ氏や女子プロについてお話しいただきました。

――

清水キャディーといえばやはりイ・ボミプロですね。最強女子プロと最強プロキャディーとのコンビで多くのドラマを作り出しました。優勝はなんと17度。イ・ボミプロとの出会い、黄金時代のエピソードをご紹介いただけますか。

清水

出会いからお話させていただくと、実は最初は正直よくなかったんです。初めてキャディーをさせていただくとの話をいただいたのが2012年の夏ですかね。でも、その話が流れまして、キャンセルになったんです。当時コンビを組んでいたキャディーさんと(コンビが)終わるから誰かを探していたんですね。で、私のところに声をかけにきていただいてですね、「この試合空いているのでいいですよ」となったんですが、もうちょっと今のキャディーさんと続けてみようということになって。「何だそれ」っていう感じやったんですね。ただそのキャディーさんともやっぱり終わりまして、もう一度私のところにオファーがありまして、その年の秋ぐらいですかね。「キャディーをまたお願いします」と。
ただ今度は(イ・ボミプロの)体調が悪くなってですね、1カ月ほど休むとなって、(2回目のオファーも)キャンセルになったんですよ。2回もキャディーをするのが流れるとなって、キャンセルを食らったんで、そういうことがあると、普通は縁がなかったかなというような感じだと思うんです。もちろん、彼女は当時すでに、すごい力をもっているプロだったので(キャンセルは)残念だったのですけども、なんともう一度オファーがきましてですね。たいがい2回も流れてしまうとオファーってそのままこなかったり、他のキャディーに話がいくことが多いんですが、3度目のオファーがありまして。今思えば、縁があったのかもしれないんですけども(笑)、その当時は縁がないと思っていたので、「次こそは本当にキャディーができるんですか」といってやらせていただいた思い出がありますね。
それが2012年のマスターズGCレディース。上位争いしてトップ10に入った(9位)と思います。その次の週のミズノクラシックも優勝争いしまして、結果的に2位になったんですけども、その2012年2試合やらせていただいて、2試合とも上位争いできたこともあって、2013年から専属キャディーとしてやらせていただくことになりましたね。最初の出会いは最悪だったのですが、まさかこんなにたくさん、そのあと6年間も一緒にやると思っていなかったです。

――

ビジュアルも抜群のイ・ボミプロには多くの追っかけファンもいました。ラウンド中も多くのギャラリーに囲まれて大変だったのではないですか。

清水

今はほとんどの女子プロがカメラに向かって手を振ったり、ニコっとしたりしますが、その当時2012~14年のころは逆にほとんどの(日本の女子)プロがそういうことはしなかったんですね。カメラに向かってニコっと笑ったりとか、ピースとか、手をふるとか…。その当時、そういうことを試合中にしていると「何をしてるんだ」「真剣にしろ」と言われた時代だったんですけども、ファンに対して手を振ったり、笑顔になったり、ピースをしたりとかを最初にしたのがイ・ボミプロだったですね。
最初は私も横にいてビックリしました。試合中にカメラに向かってピースとか、手を振ったりして、「そんなことしている暇あればもうちょっとコースのこと考えてくれよ」とか、思っていたんですけれど、その当時、韓国ツアーではそういうのはあたり前のことで、カメラを向けられたら笑顔でカメラ目線をする、ピースをするっていうのは普通のことだったみたいです。
最初それはすごくビックリしまして、余裕があるのかなって思っていたんですけど、余裕じゃなくて(ファンサービスとして)それが当たり前だったらしくて、自然とそんな形になったみたいで、それが今、日本の女子のツアーにも浸透しまして、今はもうほとんどのプロがするんじゃないですかね。韓国の選手がそういうのを日本にもってきたんですが、すごい功績だって思いますね。

――

2016年6月のアース・モンダミンカップをイ・ボミプロとのコンビで優勝し、プロキャディーとしては通算33勝目、それまで最多32勝の佐野木氏を抜いて最多勝キャディーとなられました。プロゴルファーあってのプロキャディーとはいえ、大学を卒業して20年、42歳での達成は感慨深いものがあったのではないですか。

清水

佐野木さんが32勝されているというのはずっと頭の中にはありました。偉大な先輩の記録を目標に頑張ってきたんですが、32勝目から33勝目の時って、その時はすごくこう感激したといいますか、まさかこんなに長くキャディーをやっているとは思ってなかったですし、こんなにたくさんのプロゴルファーの方たちと勝利を分かち合えるとは思っていなかったので、私自身が一番ビックリしているといいますか、たまにこう優勝した試合の表とか見るんですけども、それを見ると、あぁこんなにたくさん優勝しているんだなと、改めて思いますね。感慨深いといいますか、よくここまでできたなという感じで、思っています。

プロキャディーは見た、勝てるプロと勝てないプロの差

プロキャディーとは具体的にどのようなことをするのか、また、収入の仕組みはどうなっているのか、リアルな部分についてもお話しいただきました。

――

プロキャディーの仕事で1番大切なことは何でしょう。また1年間の仕事の流れ、ツアー競技がある週の1週間の流れをお聞きしてよろしいですか。

清水

選手あってのキャディーなので、選手をサポートするということが一番大切だと思います。ざっくり言いますと、「このキャディーを使って良かったな」って思ってもらえることが大事で、「このキャディーさんとやってすごく楽しかったな」とか「スムーズにトーナメントができたな」と感じてもらえるようにと思っています。
1年間の仕事の流れをいいますと、女子の場合、今はすごい人気で(シーズンで)2週間ぐらいしかお休みがなくて、3月の半ばから11月終わりまで39週あるですが、そのうち37週はトーナメントがどこかで開催されているという状況でして。全試合出るキャディーさんもいれば、定期的に休みを取っているキャディーさんもいます。プロも同じで、イ・ボミプロに関しては4試合やったら1試合休むっていう感じのスケジュールを組んでいました。毎年トーナメントのスケジュールが出たら、イ・ボミプロとミーティングしながら「この試合は出場しよう」「この試合は休もう」と打ち合わせしていたのを思い出しますね。
1週間の流れを言いますと、女子も4日間のトーナメントが多くなってきまして、37試合中の半分ぐらいが4日間の試合です。4日間の試合は木曜日から試合が始まり水曜日にプロアマがあり、練習日が月曜日、火曜日になってくるので、4日間の試合が続くと日曜日に終わって、その日のうちに次の会場に移動するか、もしくは一度家に帰って月曜日の朝に次の会場に移動するか。月曜日がオフになるときもありますが、オフといっても、移動に時間がすごくかかるので、ほとんど移動日になります。いずれにせよ3月から11月終わりまで休みは2週間しかないという感じでやっています。

――

収入はどんな仕組みになっているのでしょう。簡単に教えてください。

清水

これはいろんな契約がありまして、プロと選手が契約を交わすんですが、ほとんどのプロキャディーが、今は1週間単位の契約になっていると思います。選手によっては経費を全部出してくれるプロもいますし、経費はキャディーが払うこともあります。あと予選通過しないとボーナスはゼロです。プロも(予算通過しないと)ボーナス(賞金)はないので当たり前ですね。予算通過することで賞金が入ってくるんですけども、優勝すると10パーセントぐらいの賞金ボーナスをいただけることが今は多いのかなと思います。なので優勝賞金が2000万円とすると、キャディーのボーナスは200万円ぐらい。もちろん、多少の上下はあると思いますが、平均的にはそれぐらいかなと思います。優勝できなくても、まず予選を通過して上位、トップ10に入ることによって、簡単に言うと、収入は上がっていくことになります。

――

勝てるプロと勝てないプロの差は何なのか、マネジメントの視点から言えば、何が違うのでしょうか。

清水

これは難しい質問ですね、正直なところ答えはなかなか見つからないんですが、「勝てるプロと勝てないプロ」というよりは、「ゴルフが強いプロとうまいプロ」はちょっと違う気がしますね。「強いプロ=勝てるプロ」かと思います。わかりやすく言いますと「強いプロ=勝てるプロ」というのはボギーを打たないプロかなと思います。もちろんプロとしてやっている方はみなさんうまいのですが…。
うまいプロというのはバーディーもたくさん取るけどボギーも出る。しかしボギーの数が少ないプロの方が成績は上位必至で、優勝しているのかなと思います。優勝者とその週一番ボギーが少なかったプロとは結構共通することが多くて、「一番バーディーが取れたプロが優勝者」というよりは、「一番ボギーが少なかったプロが優勝者」なのが多いような気がします。どうしてもバーディーに目が行ってしまうので、「今週こんなにバーディー取られているんですよね」という感じの話をする解説者もたくさんいるんですけども、もちろんバーディーは苦労して取りに行っているので、素晴らしいことなんですけども、ナイスリカバリーとか、簡単にミスをしないというプロが、「強いプロ、勝てるプロ」と思いますね。で、そのミスを少なくするために、我々(プロキャディー)はマネジメントをしていると思っています。

――

現在、淸水さんは日本プロキャディー協会副代表理事も務められています。プロキャディーの地位向上を目指して設立された団体だと思いますが、いつ頃、どんなキッカケで設立され、主にどんな活動をされているのでしょう。

清水

2019年の冬に(今の)森本真祐代表とですね、協会を作って地位向上とか、日本女子プロゴルフ協会さんやJGTO日本ゴルフツアー機構さんとか、個人だとなかなか上がらないですので、団体を作って意見を言っていこうということで2019年の11月に設立させていただいたんです。しかし、ご存じのように2020年冬にコロナ禍になってしまいまして、なかなか活動はできずに時間が経ってしまった状況で、ようやくコロナも落ち着きまして、何かをしていかないとダメかなと思っています。
現状の主な活動としては、ジュニア育成ですね。ゴルフのスイングはプロや親御さんに習うが、マネジメントや戦略は自分ひとりでやっていたというのがジュニアでは多くて、もちろん、あんまりジュニアから考えすぎてやるのはよくはないんですけども、情報がどんどん入ってくる時代ですから、「プロはこんな考えをしているよ」というようなことを伝えながら子供たちに勉強してもらったら、という感じで年に2回ほどですね、ジュニアに付いてラウンドをする、そういう活動をやっています。

――

2023年に蝉川泰果プロの初勝利をサポートし、通算勝利は40勝の大台に乗りました。現在50歳。若手プロからは「優勝請負キャディー」と呼ばれているようですが…。

清水

おかげさまで2023年に蝉川プロの初優勝をたまたま通算40勝という形でやらせてもらいまして。関西オープンという日本でも歴史のある大会で、たまたま開催地が大阪の泉が丘で、私の出身地である大阪府で、ふだん大阪府でツアーをすることはほとんどないんですけども、たまたまその大会は大阪府でありまして。その大会で40勝目をさせていただきまして、大台に乗れたというのは大変うれしかった思い出です。
優勝請負人キャディーと呼ばれていることはよくわからないですが(笑)、優勝回数がたまたま多いだけであって、その回数というのはたくさんのプロからいろんなことを学んだ回数だと思っています。トッププロの共通点というのはたくさんあります。その共通点があるから勝てるんだろうなとか、強いんだろうなとか、長くゴルフツアーで戦っていけるんだろうなとかいうようなことが、あると思います。それを若手のプロに、どんどん伝えていければと思っております。

――

最後に講演会を企画されている主催者の方々へ、メッセージをお願いします。

清水

本当に空前のゴルフブームでして、特に女子のゴルフが今すごい人気でして、毎週毎週たくさんのギャラリーの方に見ていただいているんですけども、女子ゴルフの裏側といいますか、裏話も面白い話もたくさんありますし、ゴルフが大好きで、ふだん見ているゴルフ中継で、どういうことを話しながらキャディーをしている、試合をしているのか、どういう会話をしているのか、などエピソードとかたくさんありますので、そういう普段見ているゴルフ、ちょっとした裏側も感じてもらったらと思いますので是非、私プロキャディー清水重憲をよろしくお願いいたします。

――

長時間ありがとうございました。

清水重憲キャディー通算40勝の軌跡

96年 デビュー戦(ブリヂストンオープン=10月)
97年 ―
98年 1勝目田中秀道7月アイフルカップ、2勝目田中秀道10月日本オープン、3勝目田中秀道12月DDIグループ沖縄オープン
99年 4勝目田中秀道11月アコムインターナショナル
00年 5勝目田中秀道3月ダイドードリンコ静岡オープン、6勝目田中秀道4月中日クラウンズ
01年 ―
02年 7勝目井上真由美4月プロミス・レディース
03年 ―
04年 8勝目谷口徹10月日本オープン、9勝目谷口徹10月ブリヂストン
05年 10勝目谷口徹11月カシオワールド
06年 11勝目谷口徹7月ザ・ゴルフトーナメント
07年 12勝目谷口徹7月ウッドワンOP、13勝目谷口徹7月セガサミー、14勝目谷口徹10月日本オープン、15勝目上田桃子11月ミズノクラシック
08年 ― 
09年 16勝目上田桃子8月アクサレディース、17勝目谷口徹9月ANAオープン、18勝目諸見里しのぶ9月日本女子プロ
10年 ― 
11年 19勝目平塚哲二9月パナソニックOP 
12年 ― 
13年 20勝目イ・ボミ9月日本女子プロ
14年 21勝目藤田寛之4月つるやOP、22勝目イ・ボミ5月ほけんの窓口、23勝目イ・ボミ7月センチュリー21、24勝目イ・ボミ8月NEC軽井沢
15年 25勝目イ・ボミ5月ほけんの窓口、26勝目イ・ボミ6月アース・モンダミン、27勝目イ・ボミ8月ニトリ、28勝目イ・ボミ9月ゴルフ5、29勝目イ・ボミ10月スタンレー、30勝目イ・ボミ11月伊藤園レディス、31勝目イ・ボミ11月大王製紙エリエール
16年 32勝目イ・ボミ3月ヨコハマタイヤ、33勝目イ・ボミ6月アース・モンダミン、 34勝目イ・ボミ8月meijiカップ、35勝目イ・ボミ8月CATLadies、36勝目イ・ボミ11月伊藤園レディス
※33勝で佐野木計至氏を抜いて歴代最多
17年 37勝目イ・ボミ8月CATLadies
18年 ― 
19年 38勝目堀川未来夢6月日本ツアー選手権 
20年 ― 
21年 39勝目古江彩佳10月NOBUTAグループマスターズ 
22年 ― 
23年 40勝目蝉川泰果4月関西オープン
24年 ―

【ゴルファー別の勝利数】イ・ボミ17勝、谷口徹8勝、田中秀道6勝、上田桃子2勝、井上真由美、諸見里しのぶ、平塚哲二、藤田寛之、堀川未来夢、古江彩佳、蝉川泰果=各1勝

プロキャディー 清水重憲 氏 インタビュー

清水重憲 しみずしげのり

プロキャディー

1974年7月10日、大阪府八尾市生まれ。近畿大学付属高校時代は、野球部で甲子園を目指していたが、近畿大学進学後はゴルフに転身。ゴルフ部で腕を磨いた。卒業後プロキャディーとなり、98年には田中秀道に帯同して日本オープンで優勝するなど、プロキャディーとしての地位を固めていった。07年には男子は谷口徹、女子は上...

Share
  • Twitter
  • Facebook
  • Pocket

講演会・セミナーのキャスティング、講演依頼は講師派遣ナビコラム・インタビュー講演会講師インタビュー / プロキャディー 清水重憲 氏

ご相談<無料>
(06)
7178-5454
受付時間:
10:00~18:00
(土日祝日除く)