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講演会講師インタビュー / アドベンチャーランナー 北田雄夫 氏

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講演会講師インタビュー|厳しい自然環境の中で熱中症、凍傷、感染病になりながら自分の可能性に挑戦し続け、世界7大陸アドベンチャーマラソン走破を日本人で初めて達成した、北田雄夫(きただたかお)氏にインタビューをしました。

目次
  1. アドベンチャーランナーとは
  2. 一生を注ぐ価値があるものとの出会い
  3. 30歳での転機、思い切った挑戦
  4. SNS時代が叶えてくれたこと
  5. 講演を通して伝えたい「チャレンジすることの面白さ」

アドベンチャーランナーとは

北田氏自身について、そしてアドベンチャーランナーというスポーツについて、お話を伺いました。

北田

アドベンチャーランナーの「きただ・たかお」です。私は、日本人がまだ挑戦していない、世界でも最も厳しいマラソンに挑み続けているランナー、スポーツ選手です。出身は大阪で、今も大阪在住です。

――

初対面の方からは「アドベンチャーランナーって何?」「アドベンチャーマラソンってどんなマラソンですか?」というふうに、いろいろ質問されると思います。そんな時はどんなふうにお答えになるのでしょう。

北田

砂漠とか…南極、山岳などの大自然を舞台に、何百キロ、何千キロと1人で走るマラソンが「アドベンチャーマラソン」と言われています。その道中に必要な食料とか、寝袋、GPS、サバイバル道具なども自らで運びながら…サポートのスタッフを付けずにゴールを目指すという、そんなスポーツになります。

――

ネットで調べてみても、「アドベンチャーマラソン」についてはまだまだ分からないことがたくさんあります。起源や規模、競技人口、ルール、賞金、開催国や地域のことなど、北田さんがご存知のことを簡単に教えていただけますか。

北田

起源はおそらく1986年にサハラ砂漠で開催されたマラソンを皮切りに、今では世界で100大会以上はあるかと思われます。競技人口は世界で数千人から1万人ほどいらっしゃるのかな、と。日本ではおそらく200~300人が参加している、そんな規模になります。
ルールは、定められたチェックポイントがそれぞれの大会にあって、それをたどりながら、制限時間内にゴールを目指す、と。その道中はすべて自己責任で、賞金は各レースともありません。
ここ10年~15年で大会数も増え、参加者数も大きく増えていって、今では北極圏、南極、ジャングル、サバンナを含め、いろんな世界のさまざまな地域環境の下でレースが行われています。

――

大変過酷なレースだと思うのですが、例えばレースで走っていて、ケガだとか、それこそ命の危険に遇うようなこともあるのでしょうか。

北田

残念ながら過去のレースでは亡くなられた方もいらっしゃると聞いています。私が出たレースでは、そういうことは幸いなかったのですが、他のレースではあった、と。また海外の友人の中には、寒い北極圏のレースで凍傷になって手足を切断した、そういう友人もいたりします。

――

「アドベンチャーマラソン」では、中国・ゴビ砂漠250キロとか、オーストラリア荒野521キロとか、今年はネパール・ヒマラヤ山脈1700キロを、51日間かけて6位でフィニッシュされたとか。
フルマラソンの42.195キロを走るのでさえ大変なことなのですが、「アドベンチャーマラソン」は想像を絶する距離と過酷な環境で、例えばレースでは砂漠や荒野、氷雪地帯や山岳、ジャングル、サバンナもあって…それはスポーツなのか、冒険なのか、どういうカテゴリーなのでしょうか。

北田

カテゴリーで区分するなら「スポーツ」になると思っています。どの大会でもタイムを計測して、順位を決めて、競争するっていうことが土台にあるものなので、という意味ではスポーツなのかな、と。
ただ、しかし、実際の内容はとても冒険に近いものです。ジャングルでは水を補給する時に浄水剤を使って飲んだり、夜は地面で寝ると危ないので木の上にハンモックを吊して休んだりとか。マイナス40度のアラスカでは雪を溶かしてお湯を作ったりとか、凍傷にならないように装備や対策をするとか。極地、大自然だからこそ余計に冒険要素が強いものになっていますね。

一生を注ぐ価値があるものとの出会い

アドベンチャーランナーというスポーツとの出会い、そして挑戦について詳しくお話しいただきました。

――

子どもの頃のお話も聞かせていただきたいのですが…やはり走ることが好きな少年だったのでしょうか

北田

そうですね、駆けっこが好きで、気付いた時にはちょっと駆けっこが得意だったんですよね。運動会とかは走り回っていたような感じですね(笑)。

――

中学、高校時代は陸上部、近大では400mが専門で、日本選手権の4×400mリレーではチーム3位という記録も残されました。卒業後は陸上とはすっぱり縁を切って就職されたようですが…。

北田

個人(のアスリートとして)では、そこから実業団やプロやオリンピックとかは、とても行けないレベルでした。何かするなら活躍したいという思いは強かったんですが、それが(陸上の世界では)描けなかったので、走ることは、スポーツはやめて、社会で頑張ろうということで、そっち(就職)の道に行きましたね。

――

卒業後は、大手化学メーカーに就職され、営業職に配属。しかし走ることは諦めきれず、フルマラソンやトライアスロン、アイアンマンレース、さらにアフリカ最高峰のキリマンジャロ登頂まで挑戦されました。
もはや、サラリーマンが余暇で楽しむ趣味の領域ではなかったと思いますが、いったい、何がそれほどまでに北田さんを駆り立てたのでしょうか。

北田

なんか…突き抜けたいっていう思いだったような気がしますね。特に20代ということもあったので、学生の時も多少は(陸上で)活躍していましたし、社会に出てより自分を表現できる、勝負できる場を求めていまして。でもそれがなかなか見いだせず、没頭して熱中できるものがないと生きていけないような、そんな心境に陥っていました。
そんな年数が8年ほどかな…新卒で22歳で入って、悶々としてずっと探していたという、何かしようという思いが、余暇で楽しむ領域を超えていったのかもしれないですね。

――

きっと多くのアスリートたちは、北田さんがおっしゃったような思い、物足りなさに悩んだり、同じような思いで何かに挑戦することってあったと思うのですが、どこかで妥協したり、仕事に集中したりして、時間とともにその思いや熱量が引いていくものだと。ただ、北田さんはそうじゃなく、探し求めた。何でそこまで頑張れたんでしょう。

北田

何でしょうね。人と比べるのは、自分の感覚と比べるのは難しいんですけど、もしかすると…学生時代を振りかえると、没頭して夢中になってやりきった、その半面もっと出来たんじゃないかという思いもあって。日が経つと、年数が経つと、そういうのがあるんですよね。それで後悔したくないなという思いだったり、もっと先に行ってみたいなという思いがあったり。
もしかしたら好奇心が人よりも強いのかもしれないな、と感じる部分ではありますね。時には「やめようか」とか、「そもそも目指すのは難しいな」とか、もちろん考えたりしたんですけど、でもその度に「ああ、やっぱり、もう少ししたいな」とか、「やりたいな」というのが、ふつふつと出てきたという感じでしょうかね。

――

そして「アドベンチャーマラソン」に出合ったのは30歳の時でした。きっかけ、惹かれた訳、挑戦しようとした思い…教えてください。

北田

きっかけはインターネットで、次の何か挑戦するものを探している時に偶然見つけて、それで「ビビッ」ときまして。悶々としていた中で、衝撃でした。
見つけたのが砂漠で走るというマラソンの画像だったのですが、それがもう全然想像できなくって。「砂漠で1週間も走るって、何だ」と。「野宿しながら」とか、しかも過去に「遭難した人もいる」とか。「人間の限界って何なんだ」というのがあって、それに強く興味を引かれまして。

ただもう30歳だったんで、いろいろと考えてですね、冷静に。でも自分の場合は学生時代から走ることをやっていて、それがストーリーにもなるのかな、とか。まだ日本人が挑戦していない大会もたくさんありそうだったし、話題性もあるだろうし、成長もできるだろうし、大会自体が競技特性として体力以外に精神力だったり、準備の部分だったり、年齢を重ねても第一線で戦えるジャンルなのかな、と。
「30歳からでも一生を注ぐ価値がある」と感じてですね、飛び込もうと思いましたね。

30歳での転機、思い切った挑戦

命の危機もあるスポーツに挑むことや生活への不安はなかったのか、挑戦の道を選んだ際の心境やご家族の反応はどうだったのかお話を伺いました。

――

「アドベンチャーランナー」として生きていくために、会社も退職されました。三十路からの思い切った決断に、ご家族や周囲の方は心配されたことと思います。ご両親はどんな思いで北田さんの挑戦を見守ってくださったのですか。

北田

本当にただただ心配だったと思いますね。やっぱり命の危険もありますし、しかも聞いたことがないような名前で、日本人のプロがいるわけでもないですし、生活できる保障も全くないですし。でもありがたいことに両親は「人に迷惑をかけなければ…」といって応援してくれました。そのおかげで僕も不安ながらも踏み出すことができたという、そんな家族の支えに感謝しています。

――

周囲の友人や仕事仲間に挑戦のことを話した時はどんな反応でしたか。

北田

もう理解はされなかったですね。そもそも、そういう世界で何百キロ走るっていうのとか、存在すら知らないですし。特に言われたのは「それをやってどうなるの」「どうやって生きていくの」って。
自分でもそれに対して、自信を持って言えるものは何もなかったですね。正解も分からないし…。だから理解されなかったです。優しさの裏返しで、反対のことを言ってくれた方も多かったと思うんですけどね。そういった方々がほとんどでした。

――

優勝しても賞金はなく、渡航費や滞在費もすべて自己負担、応援してくれるスポンサーを探すことも容易でなかったと思います。プロの「アドベンチャーランナー」になると覚悟を決めた時、経済的な不安はなかったですか。

北田

ものすごくありました。もう恐怖で…人生終わりじゃないかというぐらいの恐怖感はありましたね。自分自身がすごく小心者でというのも分かっていまして、そのくせに自分は「何かやりたいという衝動に駆られ続ける」という、その葛藤がずっとありまして。
最終的にどっちが後悔しないかというのを素直に(自身に)聞くと、中途半端にしたら逃げ出してしまいそうな自分がいたので、それで思い切って当時勤めていた会社もやめさせていただきました。8年間勤めていたので貯金が1000万円ほどあったので、それを元手にやろうと決めました。でもやっぱり始めたころって、別にレース1回出たからって、2回出たからって、世の中に価値があるわけでもないですし、スポンサーも付くわけないですし、支援もいただけなくて、それで4年で貯金も底をついて…始めてからずっと不安は大きかったですね。

――

レースの動画を拝見すると、重いリュック(5~10キロ)を背負いながらジョギングのようなスピードでひたすら走り続けるイメージですが、ちなみに走っている時はどんなことを考えておられるのですか。

北田

1番は「今をどう乗り切るか」を考えていることが多いですね。シンプルでなく複雑な状況が多くってですね。砂漠でいうと、熱くって気温が45度になって、「この暑さどうしよう」「ペースを上げると倒れそうだ」「じゃペースを落とすか」「次の補給ポイントまで20キロあるし」「水分量は足りるのか」「どんだけ使うのか」「足がマメになりそう」「むくんできた」「このタイミングでちょっと休憩を入れた方がいいのか、入れない方がいいのか」。
そういうあらゆる要素を考えながら、最適なものを、致命傷を負うことなくどう進み続けるか、というのを考えているシーンがとても多いですね。

ただずっと考えていると疲れてくるので、時には過去のこと、過去の人生とか思い出して、「子どものころ、こうだったな」とか、思い出す瞬間もあったり。あと厄介なことに、僕はレース中いつもお腹が空いてくると日本食を食べたくなって、生姜焼き定食を無性に食べたくなってですね(笑)、そうなると口の中がずっと生姜焼き定食を求めることになってですね、その欲求が止まることなく、悶々とするということがあるんですけど。そんなことを考えている時もあります。

――

今までやってこられたレースで1番ピンチになられたレース、瞬間はどんなレースですか

北田

いくつかあるんですけど…去年3月にマイナス40度のアラスカにいった時に、1週間ほど経って、その日も動いていてですね、朝から動き続けて、夜になって、マイナス40度なんですけど、野宿しようと思って、テントなしで寝袋で野宿したんです。そしたら寒すぎて眠れなくて。
寝袋で、モコモコのダウンを着て寝るんですが、もう震えが止まらなくなってきて、「このままだと体温が落ちて、死ぬんだろうな」という感覚になったので、寝袋から出て靴を履いて、手足の感覚はないんですけど、とにかく動き続けて、体を温めて、結局、その日は前の日から30何時間か、止まったら死じゃいますし、寝袋で寝ることも失敗したんで、次のチャレンジもできないんで、疲労こんぱいで倒れそうなんですけど、とにかく止まると死ぬんで、進んだ、というちょっと瀬戸際の感覚はありましたね。
結局、進み続けたんですけど、「火事場の馬鹿力的なことを出したな」感があって。でもこれはよくないなという、大きな反省ですね。こういうことをいろんな冒険家もやってきたんでしょうが、その局面に直面しているということはやっぱり、危険なことなので、今後それはダメだなと、今では大きな学びになっています。

SNS時代が叶えてくれたこと

競技のほか、北田さんご自身としてどのようにSNSを活用されているのか、お話を伺いました。

――

北田さんのYouTubeの公式チャンネルには140本以上の動画がアップされていて、レースの様子以外にも日々の練習やトーク集、トレーニングを兼ねた国内旅ランとか、いろいろ発信されています。北田さんの活動を多くの方々に知ってもらうには、SNSは欠かせぬツールですね。
つまりアドベンチャーマラソンは、今の時代にマッチしたレース、スポーツというような感じもしますが。

北田

本当にその通りです。日本の誰もがやってなかったり、想像できないことをやっているので、それを写真や動画を通じて、個人で発信できて、分かち合えるというのはものすごく価値がありますし、それがなければやっていけないなというふうに思いますね。
すごくマイナースポーツなので、マスメディアに注目されることはかなり難しいですし、だから自分なりになんか表現しながら、競技のこともそうですし、私自身の人間としてのことも知ってもらえたらうれしいなと思いながら、(SNSで)出来ることをしているという感じですね。

――

競技の特性上もGPSなど様々な最新機器、ツールを使わないと完走は難しい部分がありそうですね。

北田

そうですね、今のテクノロジーも使ったり、駆使しながら、しかしやっていることは限りなく動物、過去に戻っているようなこともしつつ…そのへんが融合している取り組みというような気もしますね。

――

動画の中には、2020年に結婚された「ひとみさん」と一緒に走った「ハネムーン山陰道編」というのもあります。8月30日の冒険家の日に入籍された、奥さんの存在はまた北田さんの人生を豊かにしたと思いますが、2人を結びつけてくれたのも「アドベンチャーマラソン」だったのでしょうか。

北田

大会で出会ったというわけではないんですが、走ることや、人がやらないことに妻も興味を持ってくれて、だから僕がアドベンチャーランナーをしているからこそ、そういう巡り合わせがあったのかな、と思っていますね。また、古い友人たちからは、僕は一生結婚できないと言われ続けていたんですけども、こんなことをやっていても結婚できたんだ、というのがうれしいですね。

――

その後、レースを続ける一方で、2021年には「リアル飛脚便」という新しい発想のビジネスも始められます。唯一無二、北田さんならではのトレーニングと実益を兼ねたビジネスで、SNSの時代だからこそ新しい価値が生まれた感じでしょうか。

北田

いろいろ考えていく中で、(アドベンチャーマラソンは)走るスピードが遅いんですよね。長距離になればなるほど、持久系の距離になればなるほど。その時間を使って何か価値を生めないのかな、という中で生まれたんです。あとSNS、テクノロジーによってどんどん人との接点が薄まっていく中で、より早く、より安く、より正確にみたいになっていく中で、全く逆のことでより遅く、1番遅く、ただ温もりはあるみたいな。それで、もしかしたら価値を感じてもらえる方がいるんじゃないか、と。まあ実験的にやってみたってことになりますね。

――

最近の大きなトピックスと言えば、昨年秋に「足の神様」として知られる大阪・豊中の「服部天神宮」に所属する神主となられました。「アドベンチャーランナーが神主に?」というのは驚きでした。

北田

世界中を走る中で、足の大切さを知ってですね、かつ家族や友人や人々にも見守られている喜び、力というのを極地に行けば行くほど思い知ってですね、それで40歳というところもあって、これから自分自身も人を思えるようになっていきたいという思いも少しずつ芽生えてきて。それで個人的に(服部天神宮に)お参りしている時、偶然、神職の方と会って、意気投合しまして。一緒にお祭りを作る上で、神職(になるの)も、何も縁のない人でも成れるというのを聞き、じゃ成りたいということで、成ったという、そんな流れになります。

――

神職になるための勉強はいかがでしたか。

北田

大変でしたね。私がやったのは1カ月、合宿のようなもので、毎日行って試験に合格すれば取得できるというものに行かせてもらったんです。座学が半分、実技が半分あるんですけども、全然私は神道の家系でもなかったので、言葉から作法から全部一からでして、それをこの年になってほんと一から学校に通ったみたいなところがあって、苦労はありましたね、すごく。

――

服部足祭りが秋に開催されるそうですが…。

北田

「服部足祭り」というお祭りが、10月5日、6日と行われます。立ち上げから実行委員長として参加させていただきました。足の神様の下、足の健康のキッカケに、体験できる、学べる、祈れる、そんな日にできたらいいな、という思いでみなさんと一緒に作らせていただきました。
今年は第2回で、足のさまざまな専門家の方々が20を超えるブースに出展していただいているとか、もちろんお祭りなので、50年、100年と続いて、皆様の足が健康になるキッカケが届けられるようなお祭りにしていきたいなと思っています。

講演を通して伝えたい「チャレンジすることの面白さ」

講演会への思い、終わりなき挑戦の今後についてお話しいただきました。

――

北田さんの生きざま、挑戦は、多くの人に勇気や希望を与えてくれるものです。SNSでの発信以外に、講演会などにも積極的に取り組まれていると思いますが、話を聞きにきてくださった聴講者の方々へ、北田さんが最も伝えたいこと、感じてほしいこととは何でしょうか。

北田

「チャレンジするのは面白い」と感じてもらえたらうれしいですね。どうしても人の目とか、失敗したらどうしようとか、自分の枠にずっといちゃうとか、いろいろあると思うんですけど、でもそういう失敗成功じゃなくてですね、何か知らないことを、小っちゃい
ことでもやるっていうこと自体が面白いんだと。
そんな中で、やれば見えるものも広がり、発見もあったり、成長もあったり、喜びもあったり、私も成長させてもらって喜びも大きかったので、さらに自分自身も今結果でいうといろいろやれてきているんですけど、でも本当に暑さも寒さも弱いし、小心者だし、失敗もしまくっているし、それをなんか自分も通じて鍛えられたらなと思っていますね。

――

北田さんに弟子入りしたい、アドベンチャーランナーを目指したいという若い方々も増えてきたんじゃないですか。

北田

ありがたいことに最近は少しありますね。特に20代の方がいらっしゃって、大学生の方も時々いらっしゃったり、何かのきっかけで知っていただいて、同じようにアドベンチャーランナーしたいという方もいらっしゃったり、なんかちょっとしたことでくじけそうになった時、質問をDMでもらったりとか、それは本当にありがたい、うれしいですね。ちょっと世代の違う、そういう方々から見てもらっている、感じてもらっているというのが。

――

そんな時はどんな言葉、アドバイスをかけたりするんですか。

北田

いろいろあるんですけど、「とりあえず半歩、一歩、踏み出してみたら」という感じのことは多いですね。相談してもらっている時点で、思いは多分あって、でもそのきっかけだったり、何か悩んでいることをお伝えさせてもらいながら、結局うまくいくかどうかも分からないですし、お伝えしてもうまくいかないこともあるだろうし、そもそもそれがやりたいかどうかもやってみないと分からないですし。
悩んでいる時期が僕自身も8年間ぐらいあったので、そう思って、悩むほどのことに出会ったんなら、まずは「ケガしない程度でやってみる」というのが僕はいいなと思って、そういうことを伝えることが多いですね。

――

北田さんの挑戦はきっと死ぬまで続いていくのだろうなと思います。人生100年時代と言われますが、残り60年…これからの目標、夢を教えてください。

北田

プレーヤーとしてまだまだ挑戦したいと思いますね。もっともっと成長できると思うし、もっともっと世界には大会があるので、目標を掲げられる限り、情熱がなくならない限り、行き続けたいなと思います。あと40歳になったこともあるかもしれないですけど、後世に残るものを作りたいという感情が芽生えてきまして、それは具体的に言うと、僕の好きな漫画とか、あと難しいですが学問を作れたらな、と。
それはもう目標というより夢というか、それに近いかもしれないですけど。なんか冒険学とか冒険を通じて生き方を学ぶ学問とか、漫画もアドベンチャーを題材にして世界で出版されたらなあとか、それは全然実現性が、今は見えないんですけども、そんな思いはあります。

――

アドベンチャーランナーでご高齢の方はいくつぐらいですか。

北田

60歳超えてもいらっしゃいますね。50歳でも第一線の方がいらっしゃるので、仮にそういうのでいうと、あと10年は僕は第一線でできて、そこから10年は何なりと目標でできるでしょうし、65歳までは出来る可能性があるという感じです。

――

最後に講演会を企画しようと考えている主催者、団体の皆様へ、北田さんからメッセージをお願いいたします。

北田

世界を冒険してきた、美しいリアルな映像を交えながら、皆様の心が前向きになるお話を届けさせていただければうれしく思っております。

――

長時間ありがとうございました。

アドベンチャーランナー 北田雄夫氏 インタビュー

北田雄夫 きただたかお

アドベンチャーランナー

1984年生まれ、大阪府堺市出身。学生時代は短距離選手として日本一を目指すが、志半ばで挫折。卒業後は運動を辞めるも、自分の可能性に挑戦したいという思いを抑えきれず、あえて誰もやろうとしない過酷な道を選ぶ。 だが、元々短距離選手の人間が、持久系種目で活躍するのは夢のまた夢。初マラソンは4 時間43 分、100k...

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