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講演会講師インタビュー|サッカーの本田圭佑選手のものまねで知られ、「R-1ぐらんぷり2015」優勝を機にテレビなど幅広い分野で活躍するお笑い芸人、じゅんいちダビッドソンさんにインタビューしました。
- 目次

「やばいなぁ、明日から大変やなぁ」優勝の瞬間

サッカー日本代表のエース、本田圭佑選手のモノマネでブレークし、ピン芸人日本一を決める大会「R-1ぐらんぷり2015」で優勝したお笑い芸人、じゅんいちダビッドソンさん。苦節17年、40歳でつかんだ栄冠は人生をどう変えたのか当時の心境をお話しいただきました。
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じゅんいちダビッドソンさんといえば、やっぱり本田圭佑さんですね。強烈なキャラクターのモノマネで、2015年R-1グランプリで頂点に立たれました。優勝は40歳の時、苦節17年でやっとつかんだ大きなタイトルの瞬間のこと、今も覚えておられますか。
じゅんいち
そうですね…(笑)うれしいというのはもちろん、あったんですけど。一方で「やばいなぁ」「これ明日から大変やなぁ」とか…そんなこと思ったりしましたね。
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支えてくれた奥さん、あるいは周囲の方の反響とかはどんな感じでしたか。
じゅんいち
優勝した瞬間を見ていたスタッフさんから「奥さんが号泣されてましたよ」って聞いて、「あ、そうなんや」と思って。家に帰って聞いてみたら、嫁じゃなくて、嫁と一緒に来ていた友だちの方が号泣していたらしくて…。「お前ちゃうんかい」みたいな(笑)。周囲の目はそうですね、その前の年(本田圭佑のモノマネでR-1初の決勝進出)でやっとメシを食えるようになったぐらいの感じだったので、R-1優勝で…R1っていろいろ言われていますけど…僕の場合はものすごく変わりましたね。収入も何十倍にもなりましたし、単価も上がったし。周囲の目というのは、ちょっとずつなんで、あんまり分からないですけども、「じゅんいちダビッドソン」ってややこしい名前なんで、なんとなく全国どこへ行っても、優勝をきっかけに僕の名前を知っている人は増えてくれたのかな、っていうのはありましたね。
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ご両親も喜ばれたでしょうね。
じゅんいち
両親はですね、なんか「おめでとう」っていうタイミングで会えなかったというか、優勝直後から「うわっ」て、忙しくなって、なかなか会ってないんですよ。何ていうか温度が覚めた後ぐらいに会ったんで。知人とか、親戚とかに、自慢をしてたらしいというのは聞きましたけどね(笑)。
「R-1ぐらんぷり2015」優勝で生活はどう変わったのか

ピン芸人日本一を決める「R-1ぐらんぷり2015」優勝で注目され生活はどう変わったのか。
優勝後の変化を振り返って語ってもらいました。
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R-1の優勝で注目され、仕事も一気に増えたと思います。R-1特需はどれぐらい続いたのでしょう。
じゅんいち
いわゆるゴールデンとかのバラエティにたくさん出るという感じの特需でいうと、最初の2年間ぐらいは結構テレビが忙しかったイメージがありますね。そのあとも、イベント出演の仕事とか…。あと僕ちょっとね、特殊で、暇になっても4年に1回また忙しくなったりするタイプの芸人なんで(笑)、ワールドカップが来ると、またちょっと(仕事が)増えたりとか。(本田圭佑氏の)モノマネネタをやっていますので、ご本人の動向で忙しくなったりとかするので、どこまでがR-1特需か分かりませんけども、少なくとも優勝がきっかけというか、あれがなかったら今の状態もないので、そういう意味では特需というよりかは、原点、すべての仕事の原点になってくれている気はしますね。
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R-1のビフォー、アフターで生活はどんなふうに一変しましたか。
じゅんいち
R-1優勝前は若手芸人が集まる、生ビール一杯100円の店でばっかり飲んでいましたね。今はそれなりの金額のところに行けるようになりました(笑)。あと生活でいうと、優勝前は夫婦で家賃12万円のところに6万円ずつ出して住んでたんですけど、優勝後は(12万円から)20何万円のところに変わっても僕が1人で払えるようになったんで、収入という意味だけでもだいぶ変わりましたね。でも、もともと売れない時期が長かったんで、すごい高い服とかあんまり買うのは抵抗があるんで。派手にお金を使うというのは…クルマとかは買うかな…でもキャバクラ行って飲み歩いたりとか、そういう金の使い方には抵抗があるんで、あまり派手に遊んだりはしてないですけどね。
多彩な趣味とキャンプ芸人としての顔

テレビやラジオ、イベント、インターネットなど、さまざまな場でおなじみのじゅんいちダビッドソンさん。多忙な日々の中で、どの仕事に最も力を注いでいるのか、伺いました。
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お笑い芸人として今は、テレビ、ラジオ、イベント、ネットなど多方面で活躍されていますが、一番力を入れているフィールドは何でしょうか。
じゅんいち
いろんな仕事が来るので、選り好みせずに、別にラジオだから頑張ろうとか、あんまりそういうのはないんで、ユーチューブだから手を抜こうとかないんで、どれも力を入れてやっていますね。でもやっぱり、日刊スポーツさんの取材が一番力入れていると思いますね、最近で言うと…(笑)。
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多彩な趣味をお持ちで、キャンプ、サッカー観戦、ビリヤード、水泳、釣り、車、バイクなど。特に仕事とも直結しているのはキャンプで、芸人仲間のヒロシさんがリーダーを務めるソロキャンプ集団「焚火会」のメンバーでもあります。キャンプにのめり込んだキッカケは何だったのでしょうか。
じゅんいち
もともと子供の時からアウトドアは好きなんですけど、「バイきんぐ」の西村 (瑞樹氏)と売れる前から仲良くて。「ヒロシさん」と「僕」と「バイきんぐ」でよく営業で一緒になったんですよ。で、ヒロシさんと西村から「絶対キャンプ好きやろうから1回行こうや」とずっと言われていて。でもその時は、僕は魚釣りにはまっていたんで、「釣り行くからキャンプはいいわ」って、マジで2年間ぐらいずっと断っていたんですよ。ある時、西村の結婚式か何かの直後かな、撮った写真をLINEで送ったら、「ありがとう」という返事ついでに「明日キャンプ行くけど、どうかな」って来て。スケジュールが急過ぎて、逆に何の予定も入ってなかったんですよ。仕事も入ってなければ、釣りに行く予定も立ててなかった。「あ、空いてるわ」って感じで「じゃ行くわ」って行ってみたら…今ではだいぶん定番になりましたけど「ソロキャンプ」というスタイルだったんですよ。僕がキャンプ断っていた1個の理由が、みんなでレンタカー借りて乗り合わせて行って、大きいテントを張って、全員でその中で寝て、バーベキュー一緒にやって、という団体行動のイメージがあって、「グループキャンプ」というか、それやと思って行ったら、テントをそれぞれ1人ずつ張って、寝たい時に寝るし、焚火はそれぞれやるし、みたいなソロキャンプをグループでやるようなスタイルやったんですよ。そのスタイルが面白くて、これやったらまた1人で来てもいいし、バラバラの時間に来てもいいし、自由度が非常に高い。そこで一気にはまってしまいまして、「ヒロシさん、次のキャンプも呼んでくださいね、絶対来るんで」って言ったら、「焚火会というLINEグループがあるから入れていい」って言われたんで、何のこっちゃ分からないですけど、「ああいいですよ」って入れていただいて。そこからもう、はまって、早速その月に1人で5回行っているんですよね、キャンプに。で、焚火会というのも、今言ったように、ただのLINEグループの名前なんです。これが僕もそうですし、バイきんぐの西村やヒロシさんや、それなりに知名度のある芸人がキャンプの発信していって、ほとんどがヒロシさんのおかげですけども、ちょっと有名人がキャンプやるっていうか、どんどん知名度が上がってきた時に、焚火会の話になるんですけど、実はただのLINEグループなんです。なんか焚火会というユニットを組んでいるかのような勘違いをしている人が結構いるんですけども、もともとはただのLINEグループなんですよ。一番最初にそれがキッカケで入れていただいたというか、キャンプの世界にどっぷりはまって。だから最初はヒロシさん、西村、このお2人に根強く誘っていただいたのがキッカケですね。
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キャンプでしたら料理とかも自分でやると思いますが、普段からも料理とかがお好きだったり、こだわったりする方ですか。
じゅんいち
いや、キャンプでそんなに凝った料理はする必要ないと思っているんですよ。やりたい時はやりますけど。キャンプ場で、こだわった料理をやる方はいらっしゃいますけど、僕はわりと1人でお酒飲みながら延々とちょっとずつ肉を焼いたりとか、缶詰温めて食べたりとか。最近はまっているのが、焼き鳥の串を買ってきて、炭火でチロチロ焼きながら食べたり…。料理というよりは1人でつまみを作っているような感じが多いですね。
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キャンプの楽しさをユーチューブなどSNSで発信され、それが大きな反響を呼んでいます。さらに好きが高じて山も購入し、プライベートのキャンプ村も始められたとか…。
じゅんいち
実はキャンプを始めて1年間はどこにも発信してなかったんですよ。ただただ(キャンプが)好きで、月5回ぐらい行ってたんです(笑)。ヒロシさんはずっとユーチューブやってるんですよ。横で撮影とかしてはるんですけど、僕は何も考えずただただキャンプを楽しんでいたんです。1年ぐらい経った時に…ヒロシさんもずっと思ってたんでしょうね…、「なんでユーチューブとか、せっかくこれだけキャンプやってんのにやらんの」って言われまして。「そういや、そうですね」って言って、それでインスタグラムで写真を撮ってみたり、ユーチューブでチョコチョコ撮影してみたり。チャンネル作ってキャンプの動画を挙げたら、先駆者としてヒロシさんがいて、その仲間としてやってるんで、一気に、チャンネル登録者が10万人ぐらいになって。で、その流れで、いわゆるキャンプブームもじわじわ起き始めた時に、テレビでもキャンプを扱った番組とか増えて、そこにこのメンバーがちょくちょく呼ばれるようになって、キャンプ芸人みたいな言われ方をしだして。その時に全く別の知り合いが、「じゅんいちさん、ユーチューブもやってんやったらオンラインサロンとか、やったらどうですか」みたいな話になって。「キャンプのオンラインサロン、世界初」というので立ち上げたんですよ。誰もこんなん入ってきいひんやろと思っていたら、意外と、限定人数で募集してたんですけど、30人ぐらい最初募って、それが2カ月に1回ぐらい集うんですけど、毎回1時間ぐらいで埋まって。意外とみなさん入ってきていただいていて。その中の活動で、もともと僕がやりたかった「キャンプ場を作る」というのを軸に集まったメンバーだったので、まずみんなでキャンプとか楽しみながら、どっかみなさんが使えるキャンプ地を探そうということで1年か2年ぐらいかけてですかね、一応長野県に1個、まあキャンプ場とまでは言えないですけど、我々の野営地といいますか、森の中にトイレを付けて、林道に砂利を敷いて汲み取りの車が入れるようにした野営地を作ったというところですね。そういう流れで「自分の山を持つことになった」ということですね。
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ビリヤードもプロ級の腕前だと聞きましたが、これはどこで腕を磨かれたんですか。
じゅんいち
芸人になって1年目ぐらいの時からやはりご飯食べれないんでアルバイトをしないといけない、そのアルバイト先がビリヤード場だったんです。そこはわりと上手な人やプロも集まるような店で、「一緒にやろ」って言われたら一緒にやらないといけなかったんですよ。で、やっぱこう無茶苦茶うまい人とかプロとか来ると、ボコボコにされるんですよね。で、なんか腹立つからバイト中に、夜中とか誰もいない時に、練習してたんですよ。そしたらだんだんうまくなってきて。それで、たまにプロとかにも勝ったりするようになったんですよ。芸人になるために東京に来たはずだったのに、このままいくと違う方向の人になってしまいそうやなと思って、そのお店のアルバイトをやめたんですけど、毎日アルバイトに入れば7~8時間ぐらいビリヤードやりますから、勝手にうまくなるといいますか、「勝手に海に放り込まれて、しばらくしたら泳げてた」みたいな、そんな感じのうまくなり方です。今はもうそのころに比べたら全然ダメなんですけど、まあ若い頃に覚えたことなんで、ちょっとやったら、ある程度は思い出すんで、一応、特技という形にはなっています。
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バイクの話も聞かないとダメですね。芸名がダビッドソンということは、由来はハーレーダビッドソンということでしょうか。
じゅんいち
漫才師だったころに、何かこうキャラクターみたいなものを…まあ僕はボケだったんですけど…付けるべきだと思って。その時にキャラクターもウソついたらダメなんで、自分が好きだったものをキャラにしていくべきだなとかいろいろ考えて。若いころから古いアメリカ映画とかが好きで、アメリカンカルチャーみたいなのが好きだったので、アメリカかぶれみたいなキャラクターにしたら面白いんじゃないかと思って。当時の相方とか、周りの芸人とかともしゃべってて、その時にアメリカっぽい名前にしようと思って、一個目に「じゅんいちダビッドソン」を思いついて。ハーレーから取ったんですけど。「じゅんいちダビッドソン」の芸名にした直後に、その(漫才)コンビは解散したんですけど、(今後は)ピンで行こうと決めてたんで、「じゅんいちダビッドソン」という名前でそのまま行って、最初はアメリカかぶれのネタで番組とかに出してもらっていたんですけど、途中で本田選手のモノマネネタをするようになったので、だけどそれでまた芸名を本田選手に寄せてもなぁ…となって。そっくりさんスタートの人間ではないので、いろいろできた方がいいので、「じゅんいちダビッドソン」のままで行こうとなって、そのままにしました。そういう僕が今乗っているバイクは、ハーレーダビッドソンのライバル会社、インディアンモーターサイクルなんです(笑)。ハーレはもうちょっと自分が(人生の)ゴールに近づいてから乗ろうかな、と。
50歳の節目 講演テーマ「乗っかり力」
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ピン芸人として頂点を極めてから10年超、50歳の大台に乗りました。山あり谷ありの人生を振り返りつつ、これからは講演活動にも力を入れていきたいということですが…。
じゅんいち
講演というのはこれまでもやっていたんですが、去年ぐらいから企業さんのセミナーで話をしてほしいという依頼が増え始めたんですね。やってみたら結構楽しかったんで、またオファーが来たらお仕事としてやらせてほしいな、と。こっちも楽しいし、向こうも楽しんでもらえるなら、ということですかね。
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いくつかある持ちネタ、講演タイトルの中に「実力なくてもチャンスをモノにする、JD流『乗っかり力』」というのがあります。『乗っかり力』とは、どういうことでしょう。
じゅんいち
「乗っかり力」というのは、これ講演会やる時に、基本的に僕ごときがと思っているんですけども、まぁせっかく話を聞いていただけるなら若い社員の方向けもあれば、なんか販売するところの各店長集めた講演会とかいろいろあって、いろんな幅、層があるんですけど、基本的にお笑い芸人なんで、そんなにこう真剣にガチっと聞かれるよりは、楽しく聞いていただいて、得られるものがあればこっちも向こうもラッキーぐらいなテイストで行っているんですけどね。僕は17年ぐらいでR-1取って世に出れるようになったんですが、基本的に将来を見据えて1歩ずつ進むみたいなやり方は苦手なんですよ。それをやっていたら結構息詰まる人なんで。で、過去を振り返った時に意外とこんなことやってたな、これが良かったんやろな、みたいなのがたくさんあったんですよ。あの時にこんなことやってた、これが良かったんだな、あっこれやってなかったら伸びてはなかったんだな、というのをまとめたのを面白エピソードなんか挟みながら60分ぐらいしゃべってるんです。その中で「乗っかり力」というのは、本田選手に似ているから乗っかったという話ではなくて。わりと頑固ではダメで、僕が結構やってたのは、誰のアドバイスでも聞いてたな、と。これはお笑い芸人でもあってもなくてもいいですが、「こんなことやってみれば」と言われた時に、「それええな」「やってみるわ」っていうのはもちろんあるんですけども、「それはよう分からんからやめとくわ」っていうのはあんまりよくなくて、「それよう分からんけど、やってみるわ」っていう、この「よう分からん」というのが結構大事で、「よう分からん」けどうまくいったりすると、この「よう分からん」かった部分が、「あっこんなパターンがあるんや」っていうことで自分の引き出しになるやないですか。だから「人の考えに乗っかる」っていうようなテイストなんですよね。「本田選手の見た目に乗っかった」というよりは、周りの芸人が「じゅんいち、本田に似てるよね、モノマネやってみれば」って言って、やり始めたんですけど、「似てるからモノマネを、テイストを取り入れる」という「周りの芸人の発想に乗っかった」んですよね。そういう、今考えたらこういうことやってたな、これはどの世界でも役に立つことなんだろうなと、いうことをまとめてしゃべってます。
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サラリーマンの方にも参考になる話ですね。
じゅんいち
どっちでもいいんですよ、参考にしていただいても、「じゅんいち、これは違うで、オレはこう思うで」って、キッカケになってくれてもいいですし。それで、ちょこちょこネタとか挟むんですよ、僕の講演会では。なので単純に楽しんで帰ってもらっても、それでもええんですよ。まあそんな感じのことをしゃべってます。
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最も聞いてみたいタイトルはやっぱり「じゅんいちダビッドソン・モノマネショー~もし本田圭佑選手が講演会をやったら~」でしょうか。例えばどんな感じの講演となるんでしょうか。
じゅんいち
これは小ネタ集というか、大々的にこれをやると60分間モノマネをし続けないといけない、ただのコントで終わってしまうので。本田圭佑が講演会をやったらこんな感じですね…というのを小ネタで挟んだりとか。まあ本田選手と実際僕はお会いしているので、その時のエピソードとか結構しゃべるんですよ、講演会で。ある意味、本当のトップアスリートの考え方とかもそこでちょっと知れたりしますよね。
本田圭佑さんとの出会い

芸人としての経験を重ねる中で、人生に大きな影響を与えた出会いの一つが、本田圭佑選手との交流です。どのような経緯で出会い、どんなやり取りがあったのか、詳しく伺いました。
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人生を変えた運命の人といいますか…本田圭佑さんとの出会いのことをもう少し教えてください。初めてお会いした時のこと、その時の印象、会話の内容は…など。
じゅんいち
(R-1に)優勝したんでちょっとお会いしとかないと、と思って、関係者通じてマネージャーさんに聞いたらミラノに居たんで、ちょうど僕は休みとってミラノダービーの応援に行くので、その時にちょっとご飯でもという話になりまして。僕は初めて会うからメチャクチャ緊張してたんです。どうしようみたいな。でもあとで思ったんですけど、本田選手は僕よりだいぶ年下なんですよ。で、よう考えたら自分のモノマネしているまあまあ年上のやつが(ミラノまで)あいさつに来る、本田選手の方が「どうしよう」ってなってたんと違うかな、と。今は普通に連絡とか取らしてもらえる間柄なんですけど。
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ちなみに初めてお会いされた時はどんな感じでした。すぐに打ち解けられた感じですか。
じゅんいち
(すぐに)打ち解けはしなかったですね。レストランの個室で、向こう(本田選手側)のトレーナーさんとマネージャーさんと本田選手がいて、僕の方は1人で…だから4人で。イタリア語でメニューを本田選手が注文してて、分からないから「同じのでいいです」って同じメニューを食べて。何しゃべったかなぁ…とにかく、なんかこう、急に「じゅんいちさん、ゴールデン番組でMCとかやってくださいよ」とか本田選手が言ってきて、「いやできるわけないやろ」と心の中で思ったりとかしてましたね(笑)。
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最近ではいつお会いになられたんでしょうか?
じゅんいち
いつかな…去年かな、美容室でばったり会いましたね。(美容室は)同じところ、同じ人にやってもらっていますので。連絡はたまーに取るんですよ。年に1回か、2回ぐらい。わりとキャンプのことを聞いてきますね、本田選手は。「最近キャンプ行っているんですか」「どういうとこ行くんですか」とか「今度、海外の無人島で一緒にやりましょうよ」とか。アウトドア興味あるみたいですね。
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サッカーの経験はないとのことですが、本田さんのモノマネネタをするようになって、サッカーの勉強というか、知識を深めたり情報収集は相当やられたんでしょうね。
じゅんいち
見るの好きだったんです。ずっとJリーグ元年くらいから。代表の試合も結構テレビでは見ていて、本田という選手が出てきて、発言も面白いし、プレーもメンタル強いから、好きだったんです。ずっとこの本田って選手ええなあと思いながら、似てるとかは全く自分では思わなかった、人に言われるまで。ただインタビューとか聞いてたんで、素人やのに変なやつやなあなって感じやったんですけど、言い回しとか聞いていたので、(モノマネを)やるとなるとわりと早かったんです。本当に調べるのはちょこっとぐらいで、あとはもう僕らモノマネ芸人じゃなくて、お笑い芸人なんで、ネタで作ってしまうんで、もう捏造、捏造で。本田選手が言っていることはほぼ、僕の台本の中に本当に言っていたことなんて1割もないぐらいですね。
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本田さんのモノマネネタに挑戦していなかったら、今ごろどんな芸人人生を送っていたと思いますか。
じゅんいち
そうですよね、どうしてたかな。あんまり考えたことないんですけど。してなかったらどうなっていたか…どうなってたやろう。分からないですよ、もっと何かいいキャラクターとかを見つけて、いい売れ方してたんかもしれないですし。ただ見つからんかったらあのまま…どうやろな、どうしてるやろな。あれから10年ぐらいか、12年ぐらい前から本田選手のネタをやっているから、あのまま本田選手のネタをやらなくて、そのまま12年間、その前にやっていたアメリカかぶれのキャラクターをずっと続けていたとしたら、たぶん今も地下の劇場に出てるんじゃないですかね(笑)。日の目は見てないかもしれないですね。
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最後に…このインタビューは講演会を企画しようとしている主催者様が講師を選ぶ際に参考にするものです。講演会の主催者様へ向けて、アピールしてください。
じゅんいち
僕のやつ(講演会)には2つ得があるかなと思っていて。1個はネタもちょっと見られる、プラスしてちょっと成功につながるような話が、もしかしたら聞ける。ただただ成功論を語るだけではないので、楽しみながら聞いていただけるかなというのと、さっき言っていた本田選手に出会ってなかったらどうなるかということで、たぶん出会ってなかった、出会うは運なんですけど、出会った時に、僕は講演会で「どうやってきたか」みたいなものをしゃべるんです。出会った時に、僕がやっていた行動をやってなかったら、たぶんチャンスがあんまり跳ねないというか…。チャンスがラッキーできたときに、跳ねるために、どういうふうに準備してきていたかという話なので。まあ楽しく聞いていただけるんじゃないかと思います。
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長時間に渡ってありがとうございました。
【インタビュー】じゅんいちダビッドソン お笑い芸人
じゅんいちダビッドソン じゅんいちだびっどそん
お笑い芸人
1975年2月生まれ、兵庫県出身。1997年にデビュー。サッカー選手本田圭佑のネタで、「R-1ぐらんぷり2015」優勝し、以後テレビやラジオ、イベント、webなど多方面で活躍。 芸人ヒロシがリーダーを務めるソロキャンプ集団「焚火会」に属し、キャンプ動画YouTube(ちゃんねるダビッドソン)を開設。また、キャンプコミュニテ...

