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植田辰哉 講演会講師インタビュー

Vol.5

“裸の王様”から名将へ
貫いた「マネジメント力」

元バレーボール男子日本代表監督

植田辰哉

低迷する全日本男子バレーボールを、就任わずか3年で戦える軍団に育て、2008年、バルセロナオリンピック以来16年ぶりの五輪出場に導いた名将の植田辰哉さん。出場を決めた瞬間、コートに「大の字」で倒れ込んだ姿は、多くの人の記憶に残っているでしょう。徹底的なマネジメント力と的確な目標設定。その裏には、確固たる信念とコーチングがありました。
13年に監督引退後も、企業での営業、大学院の進学を経て、現在は大阪商業大学で教授を務める植田さんに、リーダーシップ論、今の若者に伝えたいことを聞きました。

指導者としての印象が強い植田さん。講演会では主にどんなお話をされることが多いでしょうか。

植田人材育成についてお話をさせていただくことが多いです。幅広い業種にわたる一般企業から依頼を受けますが、対象は新入社員から、中間管理職、経営者層までさまざまです。新入社員向けであれば、私が新日鐵で勤め始めた頃の話をさせてもらいますし、中間管理層から上であればリーダーシップやマネジメントについての話を披露します。

元々、選手時代から監督になりたいと考えておられたのですか。

植田いえ、全くですね。大学卒業後、日本リーグ(現Vリーグ)のセンタープレイヤーとして試合に出場し、1992年のバルセロナオリンピックでは主将を務めました。
ただ、新日鐵の監督に就任したのは流れというか、周りからの誘いがあったからこそです。しかし、就任2年目で大きな失敗に気付きました。選手に、自分自身の経験を押しつけてしまったのです。

自分が選手の頃、指導法はティーチングが当たり前でした。「1+1=2」が絶対正しいように、指導者が言うことは絶対だった。いわゆる統率型と呼ばれるもので、選手が自分の意見を言うだけでも怒られていました。
それでもチームは何度も日本一になっているし、タイトルもいくつも獲得している、その裏付けとして厳しい練習があったと信じて、自分が監督に就任してからも、選手時代に受けていた指導法をそのまま実践しました。「新日鐵は厳しい練習が売り」。そうとも考えていました。

しかし、成績は付いてこない。何かおかしい、うまくいかない。そこで初めてマネージャーに相談をしました。マネージャーはこう言いました。「今までずっといろいろな意見を言ってきたのに、植田さんは取り入れてこなかった。今さら困ったからといって私たちに何ができるんですか」と。
本当に目の覚めるような言葉でした。気がついたら自分は「裸の王様」になっていた。監督を一度辞任しようと、翌年チームを離れました。
監督を続けるには、まずはコーチングの基礎を学ばなければならない。そう思い、日本体育協会の上級コーチの資格を取りました。
そして2000年、バレー強豪国として知られるオランダ、ブラジル、イタリアに単身で渡航し、強豪国と呼ばれる国の代表監督が、選手たちにどんな声掛けをしているのか、どのようなトレーニングをしているのかを勉強しました。そこで目の当たりにしたスポーツ指導は、本当に目から鱗が落ちました。

具体的にどんな所でしょう。

植田特にブラジルとイタリアで学んだことは、フィジカル強化を徹底的に行っていること。そして、選手へのサポートがきちんとしていることでした。
例えば、監督は選手を叱りますが、叱るのは組織のルールに外れているときだけ。冷静に何がどうしてダメなのかを説明するため、選手はなぜ叱られているのか、明確に分かります。
一方、日本はどうでしょう。現在でも、無条件で監督が選手を怒ることが良いこととされている。しかも叱るのではなく、感情的に怒る。これでは、選手は何が悪かったのか分かりません。

ティーチングとコーチングの違いは何か。違いを上手く説明するのに、関係性を大木に例えて説明する「大木理論」というものがあります。大木の幹になる部分は、ティーチング。人として守らなければならないこと、例えば挨拶やルールを守ることなどです。これらを根幹に、コーチングは枝葉に当たります。枝葉に関しては「ああしろ」「こうしろ」とは言いません。それぞれの選手が目指していきたい所へ導いていきます。ちなみに根は信頼になります。これは枝葉を伸ばしていくことで、どんどん下へ伸びていきます。

こういったティーチングとコーチングの違いをしっかりと理解して、強豪国の監督は選手に接していきます。そういった指導者への意識改革は1980年代頃からもうすでに始まっていたようです。

05年には全日本の監督に就任。〝鬼監督〟とも言われましたが、指導にはこういった海外での経験が基にあったのでしょうか。

植田そうですね。まずは、フィジカルが明らかに足りない。そのため、かなり練習量を増やしました。なので、それはきつかったと思います。練習メニューを見せたら「監督これ、まじっすか」と言われたこともありましたから(笑)。そういう点で〝鬼監督〟だったのかもしれません。しかし、練習や試合中に声を荒げたり、感情的に怒ったりすることはほとんどありませんでした。

練習はバレーボールに限らず、効果的だと思った練習法を他の競技から取り入れていきました。バレーボールはジャンプやスパイクなどパワーを使うスポーツ。そのため、出力の高いボブスレーの元選手、大石博暁氏をフィジカルコーチに招き、練習の計画を立てました。また、ときには私とコーチ陣で、重量挙げの三宅義行氏の元へ通い、練習の様子を見に行ったり、レスリングのサーキット練習を見に行ったりしました。

それまでバレーボールの練習というと、技術面にしかフォーカスが当たってきませんでした。もちろん、技術面を鍛えることも必要ですが、筋力、柔軟性、バランス、スピード、これらのフィジカルを総合的に上げていくことで、技術もおのずと上がっていきます。世界で勝つためには、絶対的にフィジカルを鍛えなければならない、これは確信していました。

練習量を増やすのに伴って、食事面でのサポートも強化しました。栄養士をチームに常駐させ、選手それぞれの食事を管理。そうして、体づくりを進めました。

徹底的な体づくり。他にはどんなことを意識して、チーム改造をすすめましたか。

植田あとは、ポジショニングです。ポジショニングとはチーム一人一人の役割を明確にすることです。例えば技術のことならコーチ、練習のことならトレーナー、生活面ならマネージャーに相談すると決める。ちなみに監督はビジョンを示し、チームの循環を促す役割です。こうすることで、選手のメンタル面もチーム全体で支えるようにしました。

あとはチーム一丸になって戦うためのルールを設けました。代表を招集したときは、健康に気を配らない選手、挨拶をしない選手などチームが1つの目的に向かえる状態にありませんでした。そこで監督就任時に規律を設けました。
「若者からお年寄りまで全ての人が感動するようなバレーをしよう」「あいさつ、服装、容姿をきちんとする」「喫煙、飲酒はやめる」。これらは最低限の約束事だと伝えました。これは、選手だけではなく監督、マネージャーなどチームに関わる全ての人が守る規律です。合宿が始まった後は、練習後に講師を招いて選手にあいさつの仕方から、食育の研修などを受けてもらいました。

フィジカル面の強化もあって、就任5カ月後にはアジア選手権で10年ぶりの優勝を果たし、次に世界という目標も見えてきました。

08年のオリンピック出場を決めたときはチームの雰囲気はどうでしたか。

植田とても良かったですね。選手それぞれの調子も上がってきた中で勝ち取った「オリンピック出場」という大きな目的。ところが、またここで私は失敗をしてしまいます。出場を決めた試合後のインタビューで「オリンピックでメダルを狙う」と言ってしまいました。

なぜ失敗だったか。それまで目的は「オリンピック出場」だと選手に言い続け、それに向けて大小を含めた目標設定をしてきました。だとすれば、目的はもう達成されたはずです。それにも関わらず、監督がこれまでとは違う目的、しかも届くはずもない目的を口にしてしまった。これで選手やチームは混乱してしまったでしょう。私が言うべきことはこうでした。
「目的は達成された。オリンピック出場という目的が果たされた今、私たちは目の前の1試合を全力で戦うことに集中します」と。

目的は、具体的に達成感があるもの、かつ、ぎりぎり届きそうなものである必要があります。そして、いつまでにそれを達成するか冷静に分析し、目標を設定していきます。これをスマート分析と呼びます。
これは、会社でも大切です。中小企業の社長がある日突然「世界一になる」と言っても社員はその目的に向かって、現実味を持ちながら仕事をすることは難しいでしょう。それよりも、今月は決算月だから踏ん張って成果を出そうなど、細かく目標を掲げる方が社員のやる気を上げることができます。どこにやる気のピークを持ってくるか、こちらも目的達成には必要です。

4年後のリオでは「オリンピックで結果を出す」を目的に掲げ、引き続き監督としてチームに関わりましたが、出場権も獲得できなかった。チームをオリンピックで勝たせる実力が自分にはなく、そして燃え尽きたと思いました。監督を退き、それと同時に8年間背負ってきた重荷が降りた気がしました。
「日本を強くしなければならない」。子どものため、チームのため、自分のため、その使命があったからこそ、できたと思います。

監督を辞任した後はどうされたのでしょう?

植田実は監督を辞めた後、いろいろな挑戦をしました。
まずは日本バレーボール協会で発掘育成委員会委員として選手の発掘、マネジメント業務に携わりました。しかし、社会の一般常識とバレーボール界の常識には大きな隔たりがあると感じ、なんとなくモヤモヤした気持ちを抱えていました。
それまでバレー一筋、社会に出たことがない。それなら社会に出てみよう、と一念発起して、勤めていた新日鐵に掛け合い、営業部で働き始めました。営業はもちろん、モノなんて売ったことありません(笑)。しかも、50歳を超えて、周りは20代の若手社員ばかり。学ぶことは多かったですね。

痛感したのが、営業にはすべてに「確証」が必要だということです。コンプライアンス、強豪鉄鋼メーカーとの競合、価格の決め方、建設資材の規格・素材など営業マンは一から勉強して、自分の口で説明して取引先に納得して貰わないといけない。特に鉄鋼の価格は、多くの資材が輸入をされていて、現地の天災等に左右されやすく、会社としては価格転嫁しなければならない状況があります。しかし、取引先はそれで納得してくれない場合もある。そこで、交渉するのも仕事。
既存、新規の営業も含めて必死に取り組みました。それまでのバレーボールの経験なんて1つも役に立たちませんでした。唯一役に立ったと言えば、少し顔が知られていて、すぐに顔を覚えてもらえたぐらいでしょうか(笑)。それでも半年経てば、他の営業マンと同じ扱いです。

3年間勤めて、気付いたのはキャリアと能力の限界でした。一度きりしかない人生、自分のキャリアや能力を目いっぱい発揮できることは何か考えたときに、バレーボールに限らず若者に関わり、将来のリーダーを育成したいという思いが強くなってきました。
ただ、自分の経験だけでリーダーシップやコミュニケーション論を語るには限界がある。学問的に、もっと専門的な知識を増やして、引き出しを多く持つ必要があると思いました。

そこで、早稲田大学大学院を受験して、半年にも及ぶ試験に合格し、一学生として入学しました。1年間、経営や経済論なども学びながら、スポーツマネジメントを体系的に研究し、さらに指導方法を変えるきっかけとなったブラジルスポーツ界のマネジメントについて研究論文を書き、さらに知見を深めました。

監督を辞められた後もさまざまな挑戦してこられたのは驚きました。現在は母校である大阪商業大学で教授を務められています。どんなことを教えておられるのでしょう。

植田現在はゼミを2つ受け持ちながら、リーダーシップやコミュニケーションスキルなどについての特別講義を行っています。リーダーとして何を目的・目標に設定するか、リーダーとして企業やグループの強み・弱みを分析し、どう決断に生かすかなどをグループワークの中で学んでもらっています。
指導する側としては生徒を正当に評価するということも大切にしています。学生がどのような姿勢で取り組んできたのか、グループでどういう役割を果たしているのか、よく見て声を掛けています。そうすることで学生も「見られている」と意識し、やる気を高めてくれます。

リーダーシップはどういう組織の、どういったリーダーになりたいかによっても意味合いが変わってきます。そのため、結局は人間性が大きな要になってきます。ですから授業では、学生に人間性を高めるような授業をしていきたいし、リーダーには下した決断に責任を持ってほしい。また、こういった指導論は若者だけでなく、むしろ今指導をする方々にも伝えていきたいことです。
正しいコーチングの理解は、スポーツの勝ち負けにも関わってきます。指導者の意識改革は喫緊の課題と言えるでしょう。

そして、今後は地域でのスポーツ振興にも力を入れていきたいですね。2021年関西で開催されるワールドマスターズゲームのアンバサダーにも就任しましたし、来年には東京オリンピックもある。今でも勤めている大学・高校の総監督として週に1、2回コートに立ったり、地元のママさんバレーチームに指導したりする機会もあります。そうしたイベントを通して地域の人がスポーツを身近に感じ、競技を好きになってもらいたいです。

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