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坂田好弘 講演会講師インタビュー

Vol.3

「選手がいるから監督がいる」
選手が主役の指導法

元関西ラグビー協会会長

坂田好弘

今年9月、いよいよ日本初開催となるラグビーワールドカップ。盛り上がりを見せるラグビー界で「空飛ぶウイング」として知られるレジェンドがいます。その名は坂田好弘。ラグビー人気が今ほどではなかった1960年代後半にニュージーランドへ単身ラグビー留学し、帰国後日本代表として活躍。黄金時代を築き「世界のサカタ」と国内外にその名をとどろかせました。さらに引退後は大阪体育大学で監督を務め、関西のラグビー界をけん引。2012年にはその功績が認められ、日本人初の国際ラグビーボード(現ワールドラグビー)殿堂入りを果たしました。名実ともに、伝説の選手である坂田さんに選手として、リーダーとして今何が必要なのか聞きました。

講演会ではどういったお話をされますか。

坂田15歳からラグビーを始めて今まで選手として、指導者として、ずっとラグビーをやってきました。ですので、ラグビーを通して得た経験、そこから学んだことをお話します。企業や指導者の方々にお話する機会が多いですが、これまで本当に多岐にわたる方々に講演させていただきました。

坂田さんが選手として活躍されていた時代、日本人が海外に出てスポーツをするというのはまったくあり得ない話だったと思います。どうしてその中、単身で留学を決意されたのでしょう?

坂田性格かもしれませんが、僕はいつも「挑戦したい」という気持ちにあふれていました。「誰もしたことのないことをやりたい」という気持ちが強かった。それと大きなきっかけとして、留学前年の1968年に参加したニュージーランド遠征がありました。日本代表として同国のオールブラックスジュニア相手に歴史的勝利を収め、チームとしても、個人としても高く評価されました。そこで自分の力を試したいという気持ちがふつふつと湧いてきました。

「会社休んでラグビーをするのか」「何しにいくねん」という声も多く、留学に行くのは簡単なことではありませんでした。しかし「ラグビーをやりたい」「もっと強くなりたい」という気持ちでいっぱいで、それだけで通しました。

実際、1人で海外へ行かれてどうでしたか。

坂田やっぱり、今の時代とは少し違いますし、言葉も違うのでチームの選手とは壁がありました。ただ、ゲームでは「イエス」と言えばボールを繋いでくれる。だから、試合に言葉はいらなかったし、全力でプレーするのみでした。ただ、ボールを回してくれるのは最初の3試合目まで。それからは「イエス!イエス!」って叫んでもボールが回ってこない。これには困りました。

今から考えるとそれは「仲間に入れてもいいのか」というテストでした。日本のラグビーだと得点は「みんなで勝ち取ったもの」という意識が強いですが、ニュージーランドは個人競技の要素が強く、トライ数によって選手が評価されます。3試合終わって、僕が得点を一番獲得していたから気に入らなかったのでしょう。急に態度が変わりました。
ただ、僕がすることはいつも一緒です。良いボールが回ってこないなら、自らタックルして相手からボールを奪うしかない。奪って、トライを決める。そうやって数試合、一生懸命プレーする姿を見せることで、チームは考え方を変えていきました。「お客さん」から「チームメイト」に変わった僕は、シーズンが終わる頃にはダントツのトライ王になっていました。

こういうテストはどの世界でもあると聞きます。そして多くの人がテストのところで負けてしまう。ただ、試されている時にどれだけのことをやれるかで、壁を打ち破れるかが決まります。我慢しなければならないですね。

世界で活躍する選手にはどういったアドバイスがありますか。

坂田時代も違うし、環境も違うから僕と同じようにはできないかもしれないですが、やるなら“ひとり”で、ということでしょうか。ラグビーにしても、何にしてもひとりで考えることで強くなれます。今だと、チームで遠征したり、ひとりで行っても通訳が隣にいたりして、ひとりになること自体が難しいのかもしれないですが、こういう時代だからこそ、大切なのかも知れません。
僕は当時、周りに日本人が誰もいなくて、本当にひとりでした。だからこそ余計に日本人である自分が負ける訳にいかない、諦めるわけにはいかないという底力を感じましたね。そこで「日本人」というものを感じることができました。

そこから日本に帰国し、選手として17年間活躍されました。その後、関西に戻って大阪体育大学のラグビー部監督に就任しました。

坂田僕はラグビーをろくに教えてもらったことがなかったのに(笑)、経験もないまま教える立場になりました。選手と監督は違う、これを感じるまでに4、5年掛かりました。最初は、自分が大学や社会人の頃に取り組んでいた厳しいトレーニングを選手に「やれやれ」「できる」と言ってやらせるだけ。試合も同じです。監督の僕が「やらせる」ことを選手はやるだけでした。でも、それではまったくゲームに勝てませんでした。

指導法を見直すきっかけになったのは、監督5年目のある試合で起きた出来事でした。試合中に頭を打って流血したチームの選手に向かって、僕は「放りだせ!代わりの選手入れ!」と叫びました。そうしたら、僕が選手の頃から親しくしていた新聞記者の友人が急に「放り出せとはなにごとだ!」と怒り出しましてね。僕からすると、なんでもない一言。それでどうしてだろう考えました。もし、自分が選手で試合中に倒れて監督にそう言われたら…・・・どういう気持ちになるだろうと。やっぱり自分だったら「こんなに一生懸命にしているのに、なんやねん」ってなるだろうなと思いました。
振り返ると、選手は指導者の指示通り動けば良い、そんな風に考えてしまっていました。でも違う。プレーしているのは選手だし、痛い思いをするのも選手、苦しいのも選手です。そこからですね、監督が主役ではなく、選手が主役なんだと気付きました。そして、チームとしても強くなっていきました。

具体的に指導法はどう変わったのでしょう?

坂田まず、自分が選手時代やっていたことを選手にやらせれば強くなるというのは間違いですから、練習メニューを選手自身が決めるようにしました。「監督が作ったメニュー」と「自分たちが作ったメニュー」は大きく違います。前者は「やらされる」、後者は「やる」です。どれだけ厳しくても自分たちが作ったものなら納得して、やりきれます。

あとはラグビーに関係ないこともやりました。実は、監督になって4年経った頃に、比叡山で千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)という非常に厳しい修行をされているお坊さんにお会いして話をする機会がありました。その後、修行を終えられたお坊さんがお寺を新しく再建したいと言っておられたので「それなら」ということでシーズンオフの間に、学生30人を連れて、建築のお手伝いをしました。それである日は、山で仕事をして、歩いて下山して、試合に臨みました。1日働いた日は試合をする前に、すでに選手はフラフラです。それでも、ゲームをして勝つことがあります。そうして、困難な状況の中でも“勝つ経験”を積んでいくことで、シーズンが始まる頃には選手は「負けるはずがない」という良い“思いこみ”ができます。また、一緒に作業をすることでチームの団結力も高まったのは間違いないですね。

僕が監督を務めていた大阪体育大学は関西では無名でした。有名な選手もいないし、個人のラグビー力だけでは他の大学より上にはいけません。だからこそ、他のチームがやっていないことをしないと勝てません。お寺の建築は最後まで手伝い、監督に就任して9年目にしてやっと強豪大学を破って関西一に輝きました。

精神面はフィジカルよりも勝るときがあるのですね。

坂田そうですね。それと並行して、練習方法の改革も行いました。当時は週6日でラグビーとトレーニングをすることが常識だったのですが、それをラグビー3日、ウエイトトレーニング3日にしました。つまり、練習の量を減らし、1日に1つのことに集中するようにしました。それまでは単純に、練習のやりすぎでした。週6日ラグビーとトレーニングをしていたら肝心な試合の時に疲れてしまって実力を発揮できません。今もですが、スポーツ選手って練習のしすぎで下手な人がたくさんいます(笑)。あれだけ強いニュージーランドでさえ、週2日のラグビー練習で勝っているのだから、練習が多いからといって強いわけではない。練習は本番のためにある。それが鉄則です。

もちろん、練習メニューの変更は勇気のいる決断でした。それで負ければ「練習量が足りない。何やってるんや」ということになりますからね。ただ、練習メニューを変えてからは、選手が生き生きとして見えた。それが何よりの証拠で「間違いなかった」と確信しました。今では日本のラグビー界は社会人でも大学でも“週3日”が定着しました。

“良い指導者”とはどんな指導者でしょう。

坂田まずは選手を平等に見ること。選手が100人以上いる場合もありますから、先入観を持たずに選手と接し、その人の適性を見抜くことが必要です。あとは、選手の良い、悪いを見続けられる目をもっていること。選手が良い動きをしたときは、すかさず褒める。悪いときはきちんとアドバイスをする。そのタイミングを逃してはダメですね。

勝つ時は指導者と選手が一体になっているときです。僕も60歳を過ぎるまで、土手の上からグランドを見下ろす形でチームを見ていました。それがひょんなことから、ゴール横で椅子を置いて練習の様子を見るようになりました。そうすると、選手と同じ目線になるから、選手の良い、悪いがすぐ分かるようになった。そして、必要なときに、必要なタイミングで選手に声をかけられるようになりました。

みなさん、勘違いしていると思いますが、監督が選手を見る以上に選手は監督を見ています。自分が良いプレーをしたとき、監督が一緒に喜んでくれるのか、逆に悪いプレーをしたときはどんなアドバイスをするのか、すごくよく見ています。その時に「見ていたよ」というと次から頑張ってくれる。その「見てくれている」という行為は信頼となり、チームに良い緊張感を生むことになります。

指導者はいつもプレイヤーの1人です。選手がいるからこそ、監督がいる。だから、選手には感謝しかありません。そして、すべての業界がそうです。社員がいるから社長がいる、生徒がいるから先生がいます。それに指導者が早く気付くか、気付かないかということだと思います。

いよいよ9月にはラグビーワールドカップ開幕です。今後、日本のラグビー界はどうなっていくでしょう?

坂田「ワールドカップをやっただけ」ではダメですね。記憶に残る大会にしないといけない。日本のラグビー界に何が残ったのか、そこを考えていかないと。
大会中は、やはり代表チームが良い試合をすることに限ります。世界のトップにはなれなくても、テレビで子どもも大人も、これまで以上にたくさんの人が注目しますから。では、その後に何ができるか。それはやはり、ラグビーをできる環境を整えていくことだと思います。ラグビー場はたくさんあるわけではありません。ですから、せめてラグビーができる場所をリストアップしておくなどを後世にラグビー文化を残していきたいですね。

あとラグビー界全体のことを言えば、日本人にしかできない戦略、プレースタイルをこれからもっと確立してほしいと思っています。今は選手の体格が大きくなり、世界相手でも確実に強くなっています。一方で僕が現役だった頃、日本のラグビー界は黄金期と呼ばれていて、海外の選手と比べて体格的に不利であっても早いタックルなどの個人技を駆使して、ゲームを進めました。この個人技は、今また世界でも注目されていて世界の主流になりつつありますから、日本人も個人技をさらに磨き、自分たちのスタイルを確立していってもらいたいですね。

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