小椋久美子 講演会講師インタビュー
Vol.2
“抜け道”を見つけて、
弱点を克服できた
バドミントン元日本代表
小椋久美子
「オグシオ」の“オグ”として日本のバドミントン界をけん引し、全日本選手権5連覇、北京オリンピック5位入賞を果たした小椋久美子さん。
プレッシャーに弱いという一見アスリートらしくない一面を持つ彼女がいかに強くなったのか。そして、東京オリンピックを直前に控えた今、何を伝えたいか、お話を聞きました。
講演会ではどのような話をされることが多いですか?
小椋やはりこれまでのバドミントンを通して経験したこと、特に挫折、失敗、そこからどう乗り越えて、目標や夢を達成したかをお話することが多いです。ただ、基本的には聞き手、対象者に合わせてお話しするので毎回、内容は微妙に変わりますね。例えば、中学生向けなら自分の中学や高校時代の話を中心にしますし、企業や経営者層であれば指導者としてどう指導にあたるか、また選手の時に受けた指導で良かったなと思えた話などに時間を割くようにしています。
実は最近、改めて自分の経験を振り返る機会をもらえました。中学生の保護者向けに行った講演会でお話をさせて頂いた時の話ですが、その時にとにかく意識したのが「同じ目線で見ること」でした。というのも、その講演をするにあたり、現役時代を思い出していたのですが思った以上に自分は「できたこと」より、「できなかった」「上手く行かなかった」事が多かったと気づきました。でもそれをある人に話したら「出来なかった事、それ自体がすごいこと」って言われてしまって・・・。
確かにみなさんがみなさん、世界を目指すアスリートではないし、全員がバドミントンをやっている訳でもなければ、スポーツをやっている訳でも無いので、バドミントンのことをずっと話しても「自分とはかけ離れているな」としか思わないですよね。そういった方々に「自分のこと」として聞いてもらうためには、様々な視点を持つことが重要だなと気付いて。講演を通して、日々勉強させてもらっています。
これまでの講演では「夢の実現」と言ったテーマが多いですね。
小椋そうですね。もともと私は大都会の出身ではなく、三重県の小さな町で育った普通の少女でした。そんな私がオリンピックに出場するまでにはたくさんのターニングポイントがあり、それらがなければ、夢を実現することもできなかったし、バドミントンさえ続けていなかったと思います。だからこそ可能性は誰にでもある、チャンスは誰にでもあると伝えたいです。
例えば私にとって高校進学は1つの大きな分岐点でした。それまで田舎の小さなスポーツ少年団でバドミントンをする、バドミントンが大好きな女の子でした。それが強豪と呼ばれる大阪の高校に進学して、それまでには経験したことのない厳しい練習をすることになった。それまではただ楽しくてバドミントンをするだけだったのが、競技として向き合わなければならなくなりました。辛くて、何度も逃げ出したいと考えて・・・人生の中で一度だけ競技を辞めたいと思ったのがこの時でした(笑)。
ですが、そんな私でも大会優勝が当たり前という環境の中に身を置くことで、自然と自分もそこを目指したいと思い始めました。そして自分で自分の限界を決めることなく、もっと自分の可能性を見いだしたいと思えました。それは他でもない、環境のおかげだったと思います。
もちろん、バドミントンや何かを始めるときには楽しいと思える気持ちが非常に大切です。しかし、トップアスリートを目指すには「楽しい」というだけでは、強くなりません。厳しさ、苦しさを乗り越えているからコートに立ってプレーする時に、強くいられる。私はダブルスでプレーしていましたから、コートにはパートナーと一緒に立っていました。しかし、それでもコートではある意味1人です。そこまでの自分を作り上げられるのは自分しかいませんからね。
他にはどんな印象深い経験がありましたか?
小椋アテネオリンピック(五輪)直前にした足の指の骨折ですね。実業団に入り、全国大会でも順調に成績を残せるようになって、日本代表として五輪出場がもう目の前まで迫ってきた時期の怪我。本当に大きな挫折でした。
それまでに怪我はたくさんありましたが「こんなタイミングにどうして」と受け入れられませんでした。すぐに手術が必要でしたがここで手術を受けたら絶対に五輪は諦めないといけない。そう思うと手術を受けると言うことができなくて、痛みを1週間我慢し続けて練習しました。頭の中では無駄な抵抗だと分かっていたものの、事実を受け入れらませんでした。
そこである人に言われた言葉が人生観を大きく変えるきっかけになりました。それが「怪我には理由がある」という言葉です。その言葉を聞いた瞬間に「怪我をしても仕方がなかったんだ」とすっと納得できました。
そう思ったのには何個か理由がありますが、その大きな理由が「自分への向き合い方」でした。それまでは「超」が付くほどの勝ち気な性格で、何かうまくいかないことがあるとパートナーのせい、コーチのせい、環境のせいなど「何かのせい」にしていました。しかし、負けた時にどうして負けたのか、劣勢になったときにどうすればいいのか自分でちゃんと考えられていませんでした。誰かが自分のことをうまくしてくれるのが当たり前だと思い、自分ときちんと向き合えていなかった。そしてそれに見合った努力もしていませんでした。
そこからです。うまく行かないときにどう考え、どう行動するべきかと主体性を持って考えられるようになったのは。
そこから選手としても変わっていきましたか?
小椋人として成長できたことはもちろん、選手としても精神的にとても強くなれました。今もそうですが、基本的に自分に自信がなくって。そのせいかすごくプレッシャーに弱い。現役時代は大きな試合の前日に眠れないとか、ご飯を食べられないとかしょっちゅうありました。
ただ、それを見ないふりではなく、向き合うようにしました。第一に自信を持てるまで練習をすること。そうすると、コートに入る時に「これだけ練習してきたのだから大丈夫」と自分に言い聞かせることができます。また、勝ち負けにこだわりすぎないこと。試合はトランプみたいなもの、結果は最後になるまで分からないとある種のマインドコントロールをしていました。もちろん、それでも試合前日に試合をしている夢を見ることもありましたが(笑)、プレーに以前より集中できるようになりました。
一方で、弱いところにフォーカスしすぎないことも大切です。現役時代、サーブ時に緊張しすぎて両手が震えてしまうことが悩みでした。バドミントンのコートは狭いので相手の選手までは3メートルほど。とても距離が近いので震えているのが丸見えで・・・(笑)。それで見られていると思うとまた緊張して精神的に「負けた」と思うことが何度もありました。
それでどうしてこんなに緊張するかと考えてみるとショートサーブと呼ばれるネットぎりぎりに落とすサーブが難しいからこそなんです。入るか入らないか、不安で緊張してしまう。そこで“抜け道”を探しました。ショートサーブをせずに他のサーブをしてみたり、タイミングを少し外してみたりして発想の転換をしました。そうしたことが結果としてゲームの幅を広げることになり、選手としての経験値を上げることにもなりました。
弱点にしっかりと向き合いつつ、それを補う“抜け道”を探す、なかなか面白い発想ですね。
小椋精神面ってどうしようもできない時がたくさんあります。それでもアスリートとしてどうそれをコントロールするかはすごく大切ですから、自分なりの方法で克服しようとしました。
また、何が他の人よりすぐれているかと考えることも必要です。私の場合は大したことではないですが「努力できること」が強みでした。あとはアピール力がありました。真剣に練習に取り組んだり、大きい声を出したりして態度で「私、頑張ってます!」というメッセージを伝えることが得意でした。だからこそ、やりすぎと思えるぐらい練習でも粘り強いプレーをし、まじめに競技に取り組みました。
そうすると、コーチや監督も「1回、小椋使ってみようかな」と思ってくれます。そしてチャンスをくれる。もちろん、そこで結果を残すのは別の話ですけど、まずチャンスはもらえる。そういう風にして自分の長所と短所を見つめていきました。
こんな風に見ていけば、誰でも何かしらの才能があります。1つの短所に固執して劣等感を抱くのではなく“抜け道”を見つけることで自分の幅が広がると思います。
今後はどのような活動に力を入れていきたいですか?
小椋現在行っている子ども向けのバドミントン教室を始め、テレビ番組のレポーターなど競技を広める活動をしていきたいですね。そして今後もっと力を入れていきたいと思うのが講演会活動です。感覚を大切にするアスリートは気持ちを言葉にするというのは苦手なので引退して、避けてきた分野でもあります。しかし、人にお話をする機会が増えてきて、スポーツを通して人として成長したことを伝えたいという気持ちが出てきました。
スポーツの世界って結果主義なこともあって、強ければ良いと思っている人もたくさんいると思いますが、私は違うと思っています。この世の中にはアスリートよりも努力している人はたくさんおられます。なので、スポーツ選手が単にその「結果」や「強さ」に頼るのは甘えだと感じています。だからこそ、アスリートこそ、社会人として人として成長しなければなりません。私もまだまだ学ぶことが多いですが、競技を通して人として大きく成長できた。その経験を1人でも多くの方に聞いていただきたいと思っています。