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講演会講師インタビュー / 競泳元日本代表 伊藤華英 氏

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講演会講師インタビュー|女子100m背泳ぎで北京五輪に出場。ケガの影響で自由形に転向し、2012年ロンドン五輪にも出場した、伊藤華英(いとうはなえ)氏にインタビューをしました。

目次
  1. 水泳と歩んできた道、これからの私
  2. 生理×スポーツの教育・情報発信活動「1252プロジェクト」
  3. 講演会で伝えたいこと

水泳と歩んできた道、これからの私

様々な栄光や挫折を経験した現役生活を終え、幅広い分野で活躍する現在の状況について、まずは語っていただきました。

――

現役引退された後は、ピラティスの資格を取得されたり、大学院でスポーツ心理学を学んだり、幅広くいろいろなことに挑戦されているように思います。今の活動状況を簡単にご紹介いただいてもよろしいでしょうか。

伊藤

今は講演、講義などの機会を多くいただいています。講演ではスポーツ心理学をベースにしたストレスによるストレス反応のことや、モチベーションに関することなどをお話しさせていただくことが多いです。また、2021年3月から始めた、「1252プロジェクト」という活動も最近では多くの時間を占めています。
これは「(一般社団法人)スポーツを止めるな」という団体で進めています。内容は、「スポーツ x 生理」の知識や情報発信などの女子学生アスリートを支援する活動になっており、大変多くの声をいただいています。また執筆活動もさせていただき、様々な団体や、チームなどとご一緒させていただいています。

――

伊藤さんの人生を語る上で水泳は切っても切れないものだと思います。物心ついた時からスイマーで、中学、高校ではもう日本を代表する選手で活躍されました。子どものころの思い出というと、やっぱり水泳のことばかりでしょうか。

伊藤

どっちかというと水泳は好きでしたけど、そんなに小さい時から(泳ぎが)速くなりたいと思っている子どもではなかったので。ただ、いろんなことに興味があって、というところはありましたね。幸運なことに、水泳に出会い、水泳が伸びたって感じですかね。

――

水泳以外のスポーツにも何か挑戦されていたりしたのですか。

伊藤

実は運動は好きですが、他のスポーツにチャレンジはしてなかったです。ピアノは習ってました。社会全体のこととかに興味があったかなと思います。(スポーツは)水泳が得意なだけで、スポーツ万能とは程遠いです。(笑)見るのはどんなスポーツでも好きですけどもね。

――

競泳の日本選手権に初めて出場されたのが15歳の時。翌年の世界選手権ではもう世界から注目される存在でした。思春期の多感な時期に、自身の夢、周囲の期待の中でどんなメンタル状態で過ごされていたのでしょう

伊藤

若いときは、頑張れるものに出合ったことで、ある意味、充実はしていたと思います。振りかえれば、もっとちゃんとやっておけばよかったかなと思いますけど…、その時はその時で充実していたと思います。
ただ「頑張る」「楽しい」というシンプルな気持ちだけではなくて、やっぱり日本代表になれば、いろんなメディア、企業など、ステークホルダーとの関わりがあり、いわゆる、大人の社会に入っていきます。そういう中で、もまれたなというのはありますが、夢中になれる1つのものに出合うというのは、人生の中では大切なことであったなと思います。

――

明確な、具体的な目標が見えてきた時期というのはいつごろだったのでしょうか。

伊藤

15歳で日本選手権に出場したところから急に「オリンピックに出る」という空気というか、チームやコーチの雰囲気もありましたし、周囲の仲間たちもオリンピックを目指すのが普通になります。そういう中で16歳で初めて(日本)代表になったころから先輩方はオリンピック出られたりとかメダル取られたりとか、人間関係の環境が高校2年生ぐらいからガラッと変わってきましたね。
そのあたりから「オリンピックに出た方がいいのかな」とか「出て頑張ってみようかな」なんていうのはなんとなく思っていました。しっかりアスリートとして頑張ろうかなと思ったのは19歳の、アテネ(オリンピック)に行けなかったころです。それまでは周りの環境に馴染ませてもらって、頑張っていたところもありましたが、いざ勝負をしてオリンピックに行くということになると、自分自身と水泳と真剣に向き合うことが重要だということに気付いたのがアテネのころです。ですので、19歳くらいのころは大変だったかなと思います。

――

結果的に2004年アテネ五輪は出場確実と言われながら選考会で実力を発揮できずに代表の座を逃しました。アテネ五輪の競泳は北島康介選手が金メダルを獲得し、日本は大騒ぎとなりましたが、伊藤さん自身は五輪期間中に何をしていたか、記憶にありますか。

伊藤

あのときはオリンピックを見たくないなと思っていましたね。でも結局、(オリンピック開催中に)合宿があって、チームメート2人がオリンピックに行って、自分のコーチも行っていましたし、そのときに(残って)一緒に合宿していた先輩たちと(テレビで)オリンピックを見ました。その時に、「次は華英が行くんだよ」と先輩たちに言ってもらえたので、そこでなんか頑張ろうと思いました。今でもその先輩には感謝しています。アテネ(オリンピック)でライバルたちがすごい「カッコイイなあ」「ここに私も立ちたい」と思えたので、オリンピックを見て新たに頑張ろうという謙虚な気持ちになったと思いますね。

――

雪辱を期した次の北京五輪では女子100㍍背泳ぎで日本記録を樹立して日本代表となられました。ただ本番ではメダルを期待されながら100㍍背泳ぎ8位、200㍍背泳ぎ12位でした。北京五輪のこの成績を、ご自身はどう評価をされていますか。

伊藤

もっとタイム出したかったです。あまりオリンピックというのが感じられなかったこともあり、体調のコンディションの部分でまだまだ未熟の部分があったかなと思いますね。そこはやっぱり悔しい思いをしました。でも、全てをひっくるめて実力だと思います。

――

北京五輪が終わった後、引退のことも頭にチラついたんでしょうか。

伊藤

その時はもう辞めたいな、辞めようかと思いました。よく考えていくと、2回はオリンピックに出たい、と。なので、辞めるっていうより、結果をどう消化しようかなと思っていました。どういう気持ちで次に向かおうと思っていましたね。晴れやかな気持ちで終わって次に行くという感じじゃなくて、どうやってこれを受け止めて次に進もうかなと考えていました。

――

その後、ケガもあって背泳ぎから自由形へ転向されます。泳法の転向は大きな決断だったと思うのですが、やはりケガの影響が大きかったのでしょうか。

伊藤

はい、ケガの影響で転向しました。胸椎のヘルニアとひざの脱臼をして、背泳ぎでは影響が出るので、転向することを決めました。引退の時にはしっかり力を出し切って終わりたいということもあって、自由形にしました。

――

泳法を変えて2大会連続でオリンピック出場というのはある意味すごいことだと思いますが…。

伊藤

そうですね、当時はまだ、あまりたくさんの種目に出る選手は少なかったですしね。そんな中で、(その頃に)米国代表のマイケル・フェルプス選手(伝説のスイマーで北京オリンピックは金8個獲得)がたくさんの種目を出るようになったこともあって、その勢いで、日本選手もたくさんの種目に出るようになりました。水泳の練習では、自由形でも泳ぐので、ケガをしたこともあり、自由形を(専門に)やるようになりました。
(競技を)続けるなら、(当時は)社会人でしたので、毎年、日本代表に入っていないとやっている意味がないかなと思っていました。2009年~2012年の間で、1年でも代表に入れなかったら代表を辞めようと思ったことが、オリンピックにつながったとも思います。社会人であれば代表に入ることは最低ラインかなと思ってやっていました。ですので、自由形もその気持ちでやりました。

――

すっぱり、きっぱりと自由形に転向されたのですか。それとも戻るチャンスがあればまた背泳ぎも考えようとか、視野に入っての転向だったのでしょうか。

伊藤

最初2009年は、(北京後の)2008年の気持ちの持って行き方が残っていたので、自由形にチャレンジするという気持ちでした。2009年のローマの世界選手権では背泳ぎと自由形で代表でした。振り返ると、2009年に背泳ぎと自由形(の両方)をやったことでケガをしてしまったと思います。ですので、一本に絞ろうと。2010年にはもう完ぺきに自由形だけの練習をしていました。コーチはたまに背泳ぎの練習をさせていましたけど、絶対に出ないと思っていましたね(笑)。ケガをしたまま引退したくなかったので。

――

次のロンドン五輪で自由形の代表となり、200㍍自由形に出場されました。決勝進出を逃して結局メダルに手は届きませんでした。五輪後、その年の秋の国体で引退されました。引退を決めた時の心境をお話ください。

伊藤

引退自体は別に暗い気持ちではなく、すごく楽しみな気持ちで引退しました。よくアスリートのセカンドキャリアとか言われますが、私も漠然とした不安はありましたけど、なんかいろいろできる、と。やっぱり時間の管理が現役中はすごく大変でしたので、トレーニングして、リカバリーしてとか、食事して、寝る時間とか、全部コントロールし、コンディションを高めなければならないですし、他に時間をとることが難しかったです。そのこともあり、27歳で引退したときは(30歳までの)あと3年は頑張んなきゃと思っていました。逆に(アスリート時代とは違って)あとは、社会生活ができるというのが楽しみでしたね。

――

あと3年っていうのはどういう意味なのですか。

伊藤

20代のうちでないとできないことがあると思っていました。例えば、トライ&エラーみたいなものも思い切って、できないと思いました。30代過ぎてくると何となく自分の持ち味みたいなのが見えてきて、30代は充実してくるというか、責任持つ仕事を任されたりしてきますよね。
(それまでの)人生は、このような時系列で生きてきてない分、そういう経験をした方がいいかな、と思っていました。だから20代はいろんな人にお世話になろうと思いました。

――

ピラティスの資格取得や大学院での勉強は、30歳までの3年間で頑張ろうということだったのでしょうか

伊藤

そうですね、まずはベースアップをしなきゃいけないと思っていました。実践レベルで、紆余曲折の経験はしているんですけど、ベースがないな、と。とんでもない努力はしていますが、世の中をより知った方がいいななんて思っていました。当時は、知りたいなという気持ちもありましたし…。

――

30歳まではいろいろ挑戦して勉強して、その後で何をするか考えようといった感じでしょうか。

伊藤

結局、博士を取得するまで4~5年かかりました。当時(所属は)セントラルスポーツで、社員でしたので「大学院卒業するまでは社員でいた方がいい」と言っていただいていたので、早く卒業したいと思って頑張りました。その後は東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会に職員で入ることが決まったりもしたので、社会勉強が出来たかなと思います。

――

アスリートの場合、引退後、その競技の指導者を目指し、後輩の指導に携わる仕事につかれることも多いと思いますが、そういう選択肢はなかったのでしょうか。

伊藤

あまり自身の中で選択肢にはなかったです。でも今、すごく言われます。指導している経験があった方がよいという風潮はありますね。アスリートの引退後のキャリアで多くの方がイメージしやすいですよね、自分がやっていた競技を生かして次のステージへ行くというのは。でも本当に大変です。コーチという職業は特殊です。特にトップ選手を見るってことになった時は、人生を共にしますので。
そうした時、私はもう1回この苦しさをやるのはできないと思いました。朝から晩まで選手と居て、遠征も一緒、家族より一緒に居るような生活は、なかなか私はできないな、相当覚悟がいるなと思いました。どうせコーチという職業を選ぶのであれば、そういうところまで視野に入れてやっていきたいなと思うので、それは私は厳しいと思いました。

生理×スポーツの教育・情報発信活動「1252プロジェクト」

現在、伊藤華英さんが取り組んでいる「1252プロジェクト」について話していただきました。

――

現在、取り組んでおられる「1252プロジェクト」、これは1年間52週のうち女性の生理期間は個人差があるものの約12週で、この数字を掲げた「生理×スポーツの教育・情報発信活動」とのことですが、詳しくお話していただいてもよろしいでしょうか。

伊藤

「スポーツを止めるな」という団体で代表理事になり、スポーツ×生理のことを中心に活動しています。そのほかには、学生スポーツを支援するという団体ですので、スポーツで人材は輩出できるんじゃないか、という思いで、学生アスリートの自立などの支援も行っています。
スポーツ×生理の「1252プロジェクト」は私自身、2017年にあるコラムを書かしていただいた時に生理のことを書いたんですけど、(メダルが期待されていた)北京(オリンピック)で生理の期間があたってしまいました。中用量ピルを服用したことによる副作用などを含んだ私の経験を書きました。そんなに反響はない、私の月経事情なんて誰も興味ないだろうと思っていたら、多くの反響をいただきました。その反響が大きくなりすぎて、これは1人じゃ無理だな、1人で発信するのって限界があるなって、なんか自己満足になってしまっていると思いました。つまり、何かを動かしていく、協力する人を増やしていく必要があると感じました。
そこから、2021年の3月に「1252プロジェクト」を始めさせていただきました。基本的には女子学生アスリート、またはその指導者、保護者の方を含めた月経の正しい知識を持つこと、啓発活動を様々なコンテンツを通して行っております。

――

「1252プロジェクト」の対象は女性のみならず、男性も含まれてくるということでしょうか。

伊藤

基本的には女子学生をサポートしていますが、授業自体は男女学生さん一緒にやってもらうパートもあります。日本のスポーツの指導者の数は、8割男性です。男性指導者へのリーチ、アクションはしていますし、基本的にはジェンダーバランスを考えたりしてやっています。女性も自分自身で自分の身体を知る必要がある、また、女性でも相手の月経のことは知らないしです。、男性はもっと知らない。でもこれは悪いことでも、恥ずかしいことでもなく当たり前のことです。
男子学生は若いので、逆にしっかり真剣に伝えると、真剣に考えてくれますし、10代での教育というのは元々身体のためにも重要ですが、男性目線でも(女性と)今後一緒に働いていく、一緒に生活していく…そういうところで考え方も変わると思っています。

――

水泳以外の競技の方にも発信されているのでしょうか。

伊藤

はい、させていただいています。YouTube(Talk Up1252)を見ていただければ分かると思いますし、本当に横断的な取り組みを意識して行っています。縦割を少しづつ超えていかないと、こういう課題ってなかなか広がっていかないかなっていうところもあると思います。私たちは中間的な存在としてみなさんをサポートしていきたいと思っています。1番悩んでいる方が置いていかれないようにしていきたいな、と思っています。
知りたいと言ってくださる方はいっぱいいるんですけども、それが本当に悩んでいる方に届かないと意味ないと思っています。

――

世界的にみて、こういった発信をされていることって多いのでしょうか。日本は進んでいる、遅れている、どんな感じなのでしょうか。

伊藤

国にもよりますけど、月経に対する悩みを、例えば指導者に相談するかしないかという実態は、万国共通であると思います。あんまり言えない、言わないというのがあるかなというふうに思います。お医者さまがやられているとかは国によってはあります。ほかには、IF(国際競技連盟)の方々と話しても大切なことだと言ってくださるので、そういうところでは一緒であることも多いなと思います。
ただアフリカ大陸の方ですと、月経衛生などまだまだ伴ってない部分もあるので、トイレの状況やそういうところの課題とか発展途上国では多くあったりするので、課題感が違うところもあります。文化や宗教もあります。本当にさまざまです。

――

そうしたことの正しい知識、情報を周知させていくことはとても意義あることと思いますが、それは伊藤さん自身が北京で経験したことを話すことで、より説得力のある周知ができるのかなと思います。伊藤さんだからこそ、活動を広げていくことが出来るのではとも思いますが、ご自身もそう感じることはないですか。

伊藤

たまたま私だったのかなと思っています。本当に「1252プロジェクト」にはたくさんのアスリートにもご協力いただいていて、いろんな話を聞いていると「私、月経で困っていませんよ」という方もいます。話を聞くと大変なことがあることも多いです。
私だけが伝えていくということも限界があると思っています。例えば私は競泳をやっていたので、競泳をしている学生さんだったら私の話は自分事で聞けるけど、バスケットやっている選手だったらバスケットやっている選手の方がしっかりイメージできたりします。その方が自分事としてくれるんです。目的としては、彼女たちが自分事として、自分のコンディションを考えていくということが大事で、私が話すことが大事ではなくて、やっぱりいろんな方にご協力いただいて、各競技の選手たちがそこで話すことでそこで頑張っている若い学生の皆さんが真剣に考えてくれるんじゃないかって思うんです。そういう意味でいろんなアスリートの方がいろんな話をしてくれる、協力してくれるということがよくて、まずはスタートラインかなっていう感じはしています。私は私で話しますけど、私だけの話だけでは1分の1の経験しかないので、月経の症状は100人いたら100人違います。もっともっとアスリートに協力いただきたいな、と思っています。

男性のアスリートの皆さんも(1252プロジェクトの活動を)やりたいって言ってくださる人も増えてきて「これは大事なことだからやっていきたい」って、現役の選手からご連絡いただいたりとかします。ムーブメントになり、みんなが自分事化になり、オーナーシップを持ち月経コンディションを考えてくれると嬉しいです。

講演会で伝えたいこと

講演会ではどのようなテーマを扱っているのか、また講演を通して伝えたいことなどについて話していただきました。

――

オリンピアンとしての経験、ピラティスのこと、スポーツ心理のこと、「1252プロジェクト」のこと…講演会でお話されるテーマも多岐にわたっていると思いますが、お話されるのはどんなテーマが多いのでしょうか。

伊藤

やっぱり心理的側面の話が多いです。たとえば、ストレスです。ストレスって、聞いたこと無い人はいないと思いますけど、「ストレス感じてますか」って聞くと、30代以上の社会人の方々はおそらくほとんど感じていたりもします。そういう意味でストレスに関して、どういう理論なのか、私がどうプレッシャーというストレスと向き合ってきたのかとか。その対策、明日から出来る方法や、一緒に考えていくような講演にしていきたいなあと。
何か問いを出して、問いに関して考えていただけるような感じが理想だとは思っています。気持ち的にはみんなで考えてみようという問いに対して考えてもらうような感じで話しています。

――

講演を依頼してくるのはどんな主催者さま、団体さまが多いでしょうか。

伊藤

企業さん、が多いです。女性の社員だけの時もありますし、役員の皆さんだけの時もあります。中間管理職の方だけの時もあります。

――

講演会で伊藤さんの話を聞きたいと思って集まってくださったお客さまには、何を1番伝えたい、何を1番感じてほしいと思ってお話しされていますか。

伊藤

社会に出ると自分が埋もれてしまうような気持ちになるけれど、やっぱり1人1人役割があり、1人1人の人生があるので、自分自身の人生を楽しんでほしいなというふうに思っています。あんまり苦しまないでほしい。「楽しめることっていっぱいあるよね」「人生は楽しいな」「生き生きとした気持ちになれるようなこと」を伝えたいと思っています。

――

最後に講演会を企画されている主催者さまに、伊藤さんからメッセージをお願いします。

伊藤

私が出来ることはたいしたことないですが、少しでも皆さんがいい状態で、人生のことを考えていく、つまり、いきいきとした状態になれるように、私自身まだまだ短い人生ですが、皆さんと一緒に終わった時に良かったなと思えるような講演を今後していきたいと思っております。

競泳元日本代表 伊藤華英氏インタビュー

伊藤華英 いとうはなえ

元競泳五輪代表

1985年1月18日、大宮市(現さいたま市)生まれ。 ベビースイミングから水泳を始め、2000年日本選手権に15歳で初めて出場。競泳選手として、2001年世界選手権(福岡)から女子背泳ぎ選手として注目された。また、日本代表選手として2012年ロンドンオリンピックまで日本競泳会に貢献する。長い手足・長身でルックスの良さから...

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