京谷和幸
きょうやかずゆき
車椅子バスケットボール日本代表ヘッドコーチ
プロフィール
1971年生まれ、北海道出身。地元の強豪・室蘭大谷高校へ進学し、1年生から背番号10番を背負い、全国高校選手権に3年連続出場を果たす。卒業後はジェフ市原と契約し、プロサッカー選手になるという夢を叶えた矢先の1993年Jリーグ開幕半年後に交通事故で脊髄を損傷、車いす生活となる。
その後出会った車椅子バスケットボールで新たな夢を見出し、2000年のシドニーパラリンピックから日本代表入りを果たすと、続くアテネ・北京・ロンドンと4大会連続でパラリンピックに出場。08年の北京大会では日本選手団主将を務めた。
競技者を引退した後は指導者としての道を歩み始め、車いすバスケットボール日本代表アシスタントコーチに就任。2016年リオデジャネイロ、自身5大会目のパラリンピックは指導者としての出場。また2013年から城西国際大学サッカー部の外部コーチを務めるなど、健常者・障がい者の枠にとらわれない行動力で、現役引退後もスポーツの世界に貢献している。
スポーツシーン以外では障がい者雇用支援事業のパーソルチャレンジ株式会社にて、障がい者がより一層社会で輝ける機会を創出することを目的とした「障がい者チャレンジサポーター」として活動する他、講演会講師、千葉県教育委員会教育委員を務めるなど、活躍の場を広げている。
- 講師ジャンル
講演テーマ例
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- 夢・出会い・感謝 ~パラリンピックへの道のり~
- Jリーガーという夢を叶えた矢先に事故でサッカーを奪われた京谷。失意の底から新たな輝きを取り戻したのはパラリンピックの舞台でした。夢を叶えるためのキーワードである「夢・出会い・感謝」。その真意を子どもたちに伝えます。
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- 今、高校生に伝えたいこと ~出会いはチャンス!~
- 「出会い=チャンスである」夢が明確な目標に変わっていく高校生に必要なことは、出会いを増やしていくこと。そのために必要なことは、感謝の気持ちを持つことだと京谷は言います。「プロサッカー選手になる」「パラリンピックに出場する」という2度の夢を叶え、今もまた新たな夢に向かう京谷の生き様を伝えます。
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- 失敗は成長のもと ~事故という失敗から学んだこと~
- 失敗は恐れるものではなく、そこから学び成長するためのステップであることを京谷は身を持って経験しました。
スポーツでもビジネスでも失敗は必ず起こります。その時にその失敗とどう向き合うのか、京谷の経験談からビジネスに通じるノウハウを学ぶことができます。
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- 絆 ~人生を変えた様々な出会い~
- 事故という挫折から京谷を救ったのは、妻や家族の存在でした。事故前は傲慢で自己中心的な性格だった京谷は、車いすになって初めて本当の感謝する気持ちが芽生えたそうです。京谷を救った絆たち、その絆たちを原動力にして叶えた夢のエピソードをお話しします。
主な講演実績
活動実績
■サッカー経歴
室蘭大谷高校時代 インターハイ2回・国体3回・高校選手権3回出場
高校3年時、国体全国3位 高校選手権、優秀選手受賞
1989年 日本ユース代表(高校2年)
1990年 バルセロナオリンピック代表候補選出、高校選手権優秀選手
1991年 ジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)に加入
1993年 事故により引退
■車いすバスケットボール経歴
1994年 「千葉ホークス」に加入
1994年・95年・96年・98年・2003年・05年・06年・07年
全国車椅子バスケットボール選手権大会「優勝」
※94~96年、05~07年、同一チーム2度の3連覇は史上唯一
※98年~09年まで12年連続ファイナル進出
■個人タイトル
2000年・02年・04年・07年・08年・12年 全日本選手権「ベスト5」賞受賞
2005年 全日本選手権「MVP」賞受賞
■国際大会(日本代表として出場)
2000年 シドニーパラリンピック 9位
2002年 北九州ゴールドカップ(世界選手権) 8位
2004年 アテネパラリンピック 8位
2006年 アムステルダムゴールドカップ(世界選手権) 7位
2008年 北京パラリンピック ※日本選手団主将
2010年 広州アジアパラリンピック 金メダル
2011年 ロンドンパラリンピックアジアオセアニア地区予選 準優勝
2012年 ロンドンパラリンピック日本代表 9位