橋上秀樹
はしがみひでき
元プロ野球選手、元プロ野球コーチ
プロフィール
1965年11月4日、千葉県船橋市出身。安田学園高校から83年ドラフト3位でヤクルトに入団し、外野手として92年には107試合と自己最多出場を果たした。97年からは日本ハムに所属し、代打の切り札として活躍。99年に同球団去って、2000年に阪神へ入団。同年オフに現役引退を表明した。
引退後の05年に新球団の東北楽天イーグルスに入団。一軍外野守備・走塁コーチなどを務め、翌年からは野村克也監督(当時)の右腕としてヘッドコーチなどを任される。データを使い、緻密な確率論の元にはじき出された野村氏の野球理論を確実に実行に移し、チームを支えた。野村氏とともに09年に同球団を去った後は、独立リーグに所属する新潟アルビレックスの監督に就任。就任した年には球団初となるリーグチャンピオンシップ進出を果たした。
12年にはプロ野球界に戻り、読売ジャイアンツの一軍戦略コーチに就任するなどコーチとして手腕を発揮し、3連覇に貢献。13年にはWBC日本代表チームの戦略コーチも務めた。その後も、楽天や西武、ヤクルトで総合コーチやヘッドコーチを歴任し、2020年には再び新潟アルビレックスに非常勤でチーム強化アドバイザー兼総合コーチに就いている。
講演テーマ例
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- 「教えすぎない」人材育成
- 正しい目標は正しく自分自身を知ることから始まる。プロ野球という一流の選手が集まる世界で、何を目標とし、どこを目指すかは人それぞれに異なります。自分自身の強み、目指す場所、スタイルを知ることで、正しい目標を定めることができ、正しい努力を出来るようになります。しかし、このプロセスは自分で決めることしかできません。周りが口うるさく指図するのではなく、本人が自分で自分のことを考えられる環境を作ることが、人材育成には必要です。
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- チームマネジメント
- 野村克也氏の右腕としてヘッドコーチを務め、チームを支えてきた楽天イーグルス時代、ジャイアンツで一軍戦略コーチとして3連覇に貢献した時など、長年コーチとしてチームをまとめてきました。いわば中間管理職として監督、選手の橋渡し役を務めてきたその極意は「色に染まらないこと」。円滑にチーム運営を進めるため、心がけてきたことを披露します。
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- 一流になれる選手、一流になれない選手
- 一流として一戦で活躍した選手、また逆に実力はあったのに一流にはなれなかった選手など、野球界の裏話などをお話しします。
活動実績
<選手歴>
1983年 ドラフト3位でヤクルト入団
1984~96年 ヤクルトス
1997~99年 日本ハム
2000年 阪神タイガース。同年オフに、現役引退。
<監督・コーチ歴>
2005~09年 東北楽天イーグルス
2011年 新潟アルビレックス監督
2012~14年 読売ジャイアンツ
2013年 WBC日本代表 戦略コーチ
2015年 東北楽天イーグルス ヘッドコーチ
2016~18年 西武ライオンズ
2019年 ヤクルト 2軍総合コーチ
2020年 新潟アルビレックス チーム強化アドバイザー兼総合コーチ