上原浩治
うえはらこうじ
元プロ野球選手
プロフィール
1975年 4月3日、大阪府出身。東海大抑星高校時代は外野手兼控え投手。1 年浪人して大阪体育大学に入学する。大学時代では投手に専念し頭角を現す。
大学 3 年時に日本代表に選ばれ、97 年のインターコンチネンタルカップ決勝では、当時国際大会 151 連勝中だったキューバ相手に先発し、勝利投手となる。98 年、ドラフト 1 位で読売ジャイアンツに入団。新人 1 年目に 20 勝 4 敗の好成績を残し、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手主要 4 部門を制し、史上 10 人目、新人としては史上 3 人目の投手 4 冠を達成し、新人王と沢村賞を受賞する。
04 年にアテネオリンピック日本代表に選ばれ銅メダル。06 年には WBC 日本代表に選ばれ、崖っぷちの韓国戦に登板し勝利投手となり、WBC 初代王者に貢献する。07 年には故障による出遅れから、抑えとして 1 軍に合流するものの、球団新記録となる 32 セーブをあげた。08 年は不調が続いたが後半復活し、大逆転の優勝劇に貢献する。
08 年 11 月に FA 宣言でメジャー挑戦を表明し、1 月 14 日ボルティモアオリオールズと契約を交わし、メジャーリーガー上原浩治が誕生した。2 シーズンを終えた 10 年オフにボルティモアオリオールズと再契約を交わし、11 年シーズン中にテキサスレンジャーズへ移籍し、アメリカンリーグ優勝に貢献する。
FA となった 12 年オフに、ボストンレッドソックスと契約し、13 年のシーズン途中からクローザーを任され、地区優勝。アメリカンリーグチャンピオンシリーズでは MVP を獲得。その後ワールドシリーズ制覇に貢献し、日本人初の胴上げ投手となる。16 年 FA となり、シカゴカブスと契約する。18 年読売ジャイアンツと契約。同年には日米通算100 勝、100 セーブ、100 ホールドを達成。19 年 5 月 20 日、現役引退を表明した。
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