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森口祐子

もりぐちゆうこ

プロゴルファー

森口祐子

プロフィール

1955年4月13日、富山県富山市生まれ。富山女子高時代はバスケットボール部の主将として活躍したが、3年生の夏に父生幹さん(故人)に連れられゴルフ練習場に行き、面白さにとりつかれてゴルフを始める。
卒業前にプロゴルファーを目指すと決心し、岐阜県の岐阜関CCの師匠となる井上清次プロの門をたたいた。そこで「お前、プロになるか?なりたいか?樋口(久子)を倒すか?倒したいか?」と問われ、無我夢中で「はい」と森口は答えたというエピソードがある。

約1年半後の20歳で75年春のプロテストを受験、強風の中で参加45人中ただ1人合格した。ツアー3年目の78年4月のワールドレディースで初優勝を飾り、同年には日本女子プロ選手権を含む年間4勝を挙げた。以降、独身時代の83年シーズンまでに23勝を挙げた。84年2月に、所属コースの岐阜関CCのメンバーだった皮膚科開業医の関谷均氏と結婚した。
結婚後すぐに妊娠し、産休に入る。自身は「これでゴルフから離れていくんだ」と思ったが、夫と師匠の「まだやれる」というひと言で長男を出産した翌年の85年にツアー復帰。年間5勝を挙げる大活躍を見せ、同年の念願の日本女子オープン初制覇も実現させた。ツアー史上初の〝ママさん公式戦覇者〟となった。86年には長女出産のため、2度目の産休に入るが、87年に復帰し以後94年までにママとして18勝を挙げた 。ツアー通算41勝の永久シード選手である。
40歳を迎えた95年頃から体調不良に悩まされ、02年1月には腎臓疾患が発覚し、腎臓の一部を摘出する手術を受けた。それから、体力面での現役続行に自問自答を繰り返し、03年の開幕戦のダイキンオーキッドに出場した際に「自分の生き様を見せるのも使命、運命ではないか」と思ったと述懐しているが、レギュラーツアーの出場数は年々減少し、11年からの4年間は開幕戦のみの参戦となった。14年3月のダイキンオーキッド第1日に、58歳328日のツアー最年長出場記録を更新し、第2日にはさらに記録を1日伸ばした。

12年のレジェンズツアー公式戦のLPGAレジェンズ選手権でシニア初優勝も果たしている。最近は、ツアー解説者として活躍。「選手の気持ちを肌で感じ取りながら、それを言葉に乗せて語っていく」という解説はわかりやすく、耳に心地よい。その森口に、技術はもちろん、メンタル面なども教えを乞いにくる後輩選手は少なくない。
19年、ママさんプレーとしても活躍した功績が讃えられ、日本プロゴルフ殿堂にプレイヤー部門で中嶋常幸とともに殿堂入りを果たした。

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