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山田久志 やまだ ひさし

野球評論家、元中日監督、元オリックスコーチ、元WBCコーチ、06年野球殿堂入り

山田久志

プロフィール

秋田県出身。甲子園出場を果たした兄の背中を追って、能代高校に進学。当初は、三塁手だったが、2年生の夏の秋田大会で自身のエラーでサヨナラ負けし、投手に転向した。3年夏も県の準決勝で敗れ、甲子園出場は果たせなかった。卒業後、社会人野球の富士鉄釜石に入社。投法をサイドスローからアンダースローに変えたのはこの時期。67年の都市対抗に出場し、全国区で注目を浴び、68年ドラフト1位で阪急に指名され入団。

同期には2位に加藤秀司、7位に福本豊がいる。2年目の70年に10勝し、以来86年まで17年連続して2ケタ勝利を挙げた。また75年から12年連続開幕投手を務めるなど阪急の絶対的エースとして君臨した。71年の巨人との日本シリーズ第3戦で王貞治にサヨナラ3ランを浴び、手痛い敗北を喫したが「あのホームランがあったから、今の自分がある」と述懐している。こうして阪急一時代を築き、通算284勝で88年に現役引退した。

93年からオリックスのコーチ、99年から中日コーチを務め、02年に中日監督に就任した。03年に中日を退団ののちは、野球評論家として活躍し、06年に野球殿堂入り。09年のWBC日本代表の投手コーチに就任。ダルビッシュ有を抑えに起用するなどの思い切った投手起用と継投策を駆使し、原監督を助け2大会連続世界一に大きく貢献した。

講師ジャンル

活動実績

記録

○通算記録(20年) 654登板 3865イニング 284勝166敗43セーブ 防御率3・18
○初登板 1969・8・22対南海19回戦(西宮)
○初先発・初敗北 69・10・20対近鉄26回戦(日生)
○初勝利 70・5・14対西鉄6回戦(西宮)
○初完封勝利 70・5・19対東映5回戦(後楽園)
○初セーブ 74・4・9対日本ハム前期5回戦(後楽園)
○100勝 76・6・8対太平洋クラブ前期9回戦(平和台)
○1000奪三振 77・6・19対ロッテ前期12回戦(神宮)
○150勝 78・9・23対近鉄後期13回戦(藤井寺)
○1500奪三振 81・8・26対西武後期7回戦(西武)
○200勝 82・4・29対ロッテ前期6回戦(西宮)
○500試合登板 82・8・14対西武後期8回戦(西武)
○250勝 85・7・10対ロッテ14回戦(川崎)
○600試合登板 86・6・10対西武8回戦(平和台)
○2000奪三振 87・8・24対西武18回戦(西宮)
○連続開幕投手 12連続(75~86年)=日本プロ野球記録
○オールスター出場 71、72、74~79、81、82、85~87年(13回)=80、84年は出場辞退

タイトル

○最多勝利 72、76、79年(3回)
○最優秀防御率 71、79年(2回)
○最高勝率 71、76、78、79年(4回)

表彰

○最優秀選手 76~78年(3回)
○ベストナイン 71、72、76、77、79年(5回)
○ゴールデングラブ賞 77~79、81、82年(5回)
○野球殿堂競技者表彰 2006年

エピソード

<史上最高のサブマリン投手>
元々、秋田・能代高校の2年生の夏までは三塁手だった。その夏の地方大会で自身のエラーでサヨナラ負けを喫し、投手に転向した。これが「史上最高のサブマリン」誕生のきっかけだった。
阪急時代に12年連続開幕投手を務め、アンダースロー投手としては日本プロ野球最多となる通算284勝を記録した。サイドスローからアンダースローに変えたのは、能代高校卒業後に社会人野球の富士製鐵釜石に入社したときとされている。
ただし、本人は「オーバースローの体勢のまま、上半身を斜めにしただけ」と述懐している。

講演テーマ例

勝負強さの育て方

主な著書

「300勝に駆けるサブマリン」(ベースボールマガジン社)
「世界一の方程式」(ベースボールマガジン社新書)
「プロ野球 勝負強さの育て方」(PHP文庫)ほか多数

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