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倉本昌弘

くらもとまさひろ

プロゴルファー

倉本昌弘

プロフィール

1955年9月9日、広島県広島市生まれ。中学3年で広島GCクラブチャンピオンとなって、崇徳高校から日大に進学。ゴルフ部時代に空前絶後の日本学生選手権4連覇など、多くのアマチュアタイトルを獲得した。アマ時代の80年には、当時ツアー競技だった「中四国オープン」で優勝を飾った。
81年にプロテストを合格し、プロ初戦となった「和歌山オープン」(賞金ランク対象外)でいきなり優勝し、続く兵庫県オープンで2連勝。その後、日本国土計画サマーズなどツアー競技で4勝を挙げ、プロ初年度で賞金ランク2位に入った。翌82年の「全英オープン」で日本選手歴代最高の4位に入り、翌週のメジャー「日本プロ選手権」では初出場初優勝の快挙を達成。小柄ながら筋トレで鍛えたパワフルな体と、歯切れのいいゴルフで「ポパイ」の愛称で親しまれ、レギュラーツアーでは賞金王こそ獲得できなかったが、常に上位で活躍した。

80年代からの青木、尾崎将、中嶋「AON」時代に「K」が割ってはいる図式だった。
92年の「ブリヂストンオープン」でツアー25勝目(プロ入り後)を挙げ、永久シード入りを果たした。同年、米ツアーのQスクールをトップ合格し、93年はアメリカを中心でプレーした。結果は出ずに1年で撤退したが、ツアーの運営方法など多くのことを学びんだ。この頃の経験が、その後のツアー改革の礎と、日本ゴルフツアー機構(JGTO)設立にもつながっている。

2000年には、心臓弁膜症の手術を受け、選手生命も危ぶまれたが、翌年に復帰。03年の「アコムインターナショナル」第1日には、ツアー初の59をマークし、通算30勝目を挙げる。シニア入り後も存在感を示しており、12年に欧州シニアツアーで海外初優勝。
また14年には日本プロゴルフ協会会長に就任し、選手として2勝を挙げ4年ぶり2度目のシニア賞金王に輝いた。現在もPGA会長と選手の「二足のわらじ」を履いて活躍しており、日本ゴルフ界には欠かせぬ存在となっている。

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